ここ最近、発達障がい児であり、ゴールデンチルドレンでもある息子のことで、いろいろと考えさせられています。
スクールバス内の雰囲気が嫌で、バスで帰って来れない息子のために、私はほぼ毎日小学校へお迎えに行きます。でも、そこで会う同級生たちの、私たち親子に対する目線が…まぁ冷たいんですよね。正直言って、学校へお迎えに行くのがたまらなく憂鬱です。
でも息子は、同じくお迎えに来ている同級生たちの車に必ずお見送りをします。黄色い帽子を大きく振って、みんなにバイバーイ!…たとえ相手にされなくても、それが自分なりに相手にできることだと…息子は思っているようです。
また、帰りがけに寄ったスーパーで同級生に会うと、息子は喜んで駆け寄ります。まぁ、相手が迷惑そうにすることが多いんですけどね。
息子は確かに変わり者です。同級生たちと、恐らく話も合わないと思います。
でも、息子が起こす行動のベースにあるのは、いつも「愛」です。どんな相手であろうと、目の前にいる人に対して、自分なりに愛を表現しています。
まだ人間として幼い同級生たちは、息子の奇妙な面ばかりに目がいって、距離を置いたり避けたりしているのだと思います。でも、息子の本質を見てくれる大人たち、特におじいちゃんおばあちゃん達は、息子と楽しそうに過ごしています。
息子は、ありのままを生きています。まわりの目など気にせずに、興味があることに対してはまっすぐに突き進みます。なので、スーパーの自動ドアの前で這いつくばって、じっとレールの動きを観察したり…するのです。(これはさすがに迷惑なので、見つけたらやめさせます。)
私はそんな息子と過ごしていて、やはり感じるのは「愛」です。見返りを求めずに、ジャッジもせずに、ただ目の前にあるもの、目の前にいる人に対して、愛をもって接する…やはり彼はゴールデンチルドレンだなぁと、感じずにはいられません。
そして、そんな息子とともに、私も真実を生きています。息子のありのままを否定せずに、ただただ、息子の想いに寄り添います。そんな生活の中で、息子からたくさんの大事なことを教わっています。
真実は、時に嫌われるのかもしれません。今ある常識を越えていくであろう真実を、最初は誰も信じないだろうし…真実を生きるのは、ある意味で孤独だと思います。
でも、この激動の時代において、少しずつ、少しずつ、真実が明るみになってきているような気がします。特に、今までごまかされてきた闇の部分が、もうこれ以上ごまかせなくなっているのを強く感じます。社会の中に潜む闇はもちろん、自分自身の中に潜む闇も、自分自身でごまかせなくなってきている…私自身がそう感じます。
そして、息子の中にある愛が、息子の放つ光が、そのまま相手に伝わって、互いに循環して…そんな夢のような時代も、もしかしたらすぐ近くにまで来ているのかもしれませんね。