旦那さんの影響で、私もいつのまにか大河ドラマを見るようになりました。今放送されている「麒麟がくる」、主人公は明智光秀です。
明智光秀の一般的なイメージは、織田信長を暗殺した裏切り者。あまりいいイメージは持たれていなかったと思います。そんな人物を主人公にして、どんな物語になるのか?と思いきや…これがなかなか面白いのです!
明智光秀の主君である織田信長。最初は光秀とも良好な関係を築いていたものの、権力を増すにつれて疑心暗鬼になっていく信長…自分の言うことを聞かない武将たちを力ずくで排除し、やがて孤立していきます。
そんな信長を何とかしようと、まわりの武将たちが頼りにするのは…いちばんの側近であり、切れ者である明智光秀。まわりからのプレッシャーと、主君である信長の暴走との間で、何度も心が揺れ動く光秀…そして、あの本能寺の変へと繋がっていくのです。
明智光秀を主人公にするからには、裏切り者ではなくヒーローとして描かなければ成立しませんが…それにしても、今回の大河ドラマの脚本は見事です。明智光秀は単なる裏切り者ではない…本当にそんな気さえしてきます。
織田信長に仕えた明智光秀、同様に豊臣秀吉に仕えた石田三成…彼もまた、関ヶ原で破れた敗者という悪いイメージを持たれていますが、彼の中でも様々な苦悩があったのかもしれません。
同じ人物であっても、同じ出来事であっても…見方を変えれば、これだけ印象も変わるんですよね。
ひとつのものごとに対して、いろいろな角度から見る癖をつけてみると…違った景色がいくつも見えてくるかもしれません。
ところで、今日は節分です。鬼退治のために豆を投げるというのが昔からの慣習ですが…その由来として、実はこんな話があるのだそうです。
今は夜の時代から昼の時代へと移り変わっている最中ですが、その昔、縄文時代から弥生時代へと変わる、今から2500年ほど前…今とは逆に昼の時代から夜の時代へと移り変わる過程で、こんなことが起きていたのだそうです。
昼の時代を司っていた神様が、夜の時代の神様に無理矢理追いやられ、鬼の姿に変えられて、門の奥へと閉じ込められてしまったのだそうです。その時に、二度と出て来れないように炒り豆を投げつけられた…これが節分の始まりと言われているのだそうです。
つまり、鬼は外!と豆を投げつけることは、昼の時代の神様を閉じ込めて、門の外へと追いやる行為、なんですよね。
今は当たり前のように、鬼退治として炒り豆を投げていますが…裏を返せばこういうお話もあるんです。節分の考え方が、だいぶ変わってきますよね。
私は節分の今日、鬼に向かって炒り豆を投げるのは…やめておこうと思います。