私が普段お世話になっているスピリチュアリストさんたち。共通しているのは、自分を導いてくれる存在に対して謙虚であることです。
アイデアか何か?が降りてきた時とか、何かを感じ取った時。この感覚で合っているのかどうか?必ず審神者(さにわ)をします。自分自身とか、ハイヤーセルフに問いかけて、確認をするのです。
スピリチュアルな能力は、本来誰しも持っているものだと思います。得意な能力は人それぞれだったり、どの程度目覚めているのか?によっても違うのかもしれませんが。
私の場合は、物事の本質を見抜く力が人よりも強いようです。世にはびこるフェイクニュースは一発でわかりますし、歌番組で誰が口パクをしているのかもすぐわかります。新聞や雑誌などに載っている文章の間違いを見つける、校正作業も得意です。
この延長線上で、偽スピさんたちを見抜くことも得意だったりします。
でも…得意ではあっても、自分が合っているのか?正しい判断ができているのか?を自分自身で問いかけて、常にチェックするようにしています。
スピリチュアルな能力に目覚めてしまうと、人によっては自信を持ちすぎることもあります。私は人にはない力を持っている、私はすでに目覚めている…って具合に。
でも、こういう人たちが勘違いをして、率先してスピリチュアル講座を開いてしまうのです。私の能力を伝授します!と、周りの人たちにマウントを取ってしまうのです。
こういう人たちは「目覚める」ことを勘違いしています。一旦目覚めてしまったら、もう自分は覚醒が完了したと思ってしまうのです。
そう、そこが落とし穴。過剰な自信を持ってしまうことで、自分自身に問いかけること、つまり審神者をしなくなり…間違った方へ突き進んでいたとしても、その間違いに気づくことができないのです。
私たちは、どんなにスピリチュアルな能力に目覚めたとしても、ひとりの人間に過ぎないのです。
私たちが人間として生まれてきた意味は「経験をすること」です。
いいこと、悪いこと、心地よさ、不気味さ、恐怖、嫉妬や妬み、などなど…
あとは、めちゃくちゃ寒い日に飲むホットコーヒーとか。仕事の後の一杯のビールとか。憧れの人に対するキュンとか。我が子が初めて歩いた日の感動とか。
全てを経験して、楽しむために、私たちは人間として生まれてきたはず、なのです。
そう思うと、せっかくの人生を楽しもう!どんなことでもやってみよう!っていう気に…なりませんか?
私たちは、やってみよう!と思えば、きっと何でもできちゃうのです。
うそだと思うなら…実際にやってみて!
そこから道が開かれるはず、ですよ(^_^)