私自身も含めて、スピリチュアル的なことを発信している人たち…大きく2つに分かれると思います。
それは、その人自身が満たされているか?満たされていないか?という分類です。
一見して、アゲアゲ全開な偽スピっぽい投稿をしている人たち。でもその人自身が満たされている場合は、投稿内容からポジティブさを感じられます。そうではなくて、まだまだその人自身が満たされていない場合は、その投稿内容から得るものは…あまりないんですよね。
満たされていない人の大きな特徴は、自分探しを続けていること。私はレムリアにいたことがあるとか、アトランティスにもいたとか、出身はプレアデスだとか、前世はサムライだったとか…延々と、延々と自分探しをしているうちは、まだまだその人自身が癒されていないんですよね。
また自分自身のことばかり書いている人も、まだまだ満たされてはいないと思います。特に選民意識がものすごく出ちゃっている場合とか、アピールが強い場合とかは、まだまだその人が自分自身を受け入れられていないんですよね。
さらに言うと問題なのは、まだまだ満たされていない人が、見切り発車的にスピリチュアルを伝授する立場になってしまうことなんです。スピリチュアルに明確な免許などなく、その人次第でどうにでもなってしまうことや、一般的に真偽の判断がしづらいことで、こういうことが起こってしまうんですよね。
講師自身が満たされていないスピリチュアル講座。そんなの全く意味がないし、そこから得るものなんて全くないんですよね。
逆に言うと、スピリチュアルなんて全く関係ない人でも、その人自身が日々満たされていれば、そのほうがずっとアセンションが進んでいると言えるんですよね。
自分自身が満たされているという感覚。言い換えれば「足るを知る」ってことなのかもしれません。
自分にないものを探し続けるのではなく、今あるものの良さに気づいて満足できること。そのためには、自分自身をしっかりと知ることが大事だと思います。
ちなみに私自身は、息子が生まれた頃から自分のルーツ探しを始めたので、今まで約10年ほどかけて自分自身と向き合ってきて、最近やっと自分というものが見えてきた気がします。
だから、自分探しが決してダメなわけではありません。私が問題視しているのは、自分探しの途中で見切り発車をして、スピリチュアル講座を開いてしまうことなんです。
世にはびこるスピリチュアル講座。こんな視点から選んでみるのも、偽スピを見極めるひとつの方法だと思います(^_^)