Work "OUR" Light 〜Juan's blog〜

ブルーレイチルドレンJuanの、スピリチュアルな?つぶやき

嫌われ者フィルター

発達障がい児と日々を過ごしていると、1日に一度は偏見の目に晒されます。学校で、買い物に寄ったスーパーで、私たち親子に向けられる目線…敏感に感じ取ってしまいます。

そんな毎日が積み重なると、知らないうちに「嫌われ者フィルター」を自分たちにかけてしまっているんです。私たちは変わっているから変な目で見られるのだし、結局は嫌われているのだ…と。

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今までの私は、このフィルターを必死に無くそうとしていました。私たちは変わっているけれど、それはあくまでも個性であって、決して嫌われているのではない!私たちは私たち、堂々としていればいいのだ!…と。

でも、一生懸命フィルターを無くそうとしたところで…毎日偏見の目に晒されていると、嫌われ者フィルターは簡単に復活してしまうんですよね。

偏見の目なんて、気にしなきゃいいじゃん!って思うかもしれませんが。敏感に感じ取ってしまうし、気づいてしまう…これはもう仕方がないことです。

 

それならば。フィルターを必死に無くそうとしても無くならないのならば。いっそのこと、フィルター無くそうと思うのをやめりゃいいじゃん!って、思ったんです。

嫌われ者フィルターは存在する。そういう偏見があるってことを大前提にして、その上で…自分たちにとって何が大事なのか?を選んでいけばいいって、思ったんですよね。

 

私がいちばん譲れないのは、自分たちのユニークさを無くしてしまうこと。子供たちの、そして私自身の生まれ持った個性は、何があっても大事にしていきたいって思っています。

子供たちが通う療育施設の先生方、いろいろな方がいらっしゃるんですが、中には発達障がい児が持つ個性を潰してまでも学校や社会に適応させようとする先生がいます。うちの子たちはユニークすぎて、なかなかまわりの子たちに受け入れられない現状があるのですが、その先生は友達の輪に入ることや仲間を作ることを最優先させるんです。

これ、うちの子にとってはものすごいストレスなんですよね。個性が強すぎるから輪に入れないのを、個性を潰してまでも輪に入ることを強く勧め、そのためのリハビリを推し進める先生…私はあまり意味がないと思っています。

そうではなくて、うちの子たちの特性を生かした生きかたを模索していけばいいと、私は思います。人と関わるのが苦手でも、個性が強すぎても、生きていく方法はあるし、できる仕事もあるはず…そこに関しては、絶対にブレることはありません。

 

まずは自分たちの心地よさを大事にして、まわりからの偏見の目は仕方ないとやり過ごして、とにかく自分たちが持つ世界観を大事にしていく…

今までは、まわりの人全体に対して敵対するような気持ちもあったのですが。嫌われ者フィルターを認めた上で、どうまわりの人たちと向き合っていくのか?

…そんなふうに考えていたら、何となく…嫌われ者フィルターが気にならなくなっていることに気づきました!

ダメな要素を消そう、無くそうとするのではなく、共存していくことで新たな展開が見えてくる…今はそんなふうに、少しだけ希望が持てるようになりました。