Work "OUR" Light 〜Juan's blog〜

ブルーレイチルドレンJuanの、スピリチュアルな?つぶやき

リスペクトと軽蔑

まだまだ続いている、おじいちゃんの憂鬱。もう少しだけおつき合いください。

とある事件をきっかけにして、私はおじいちゃんのことが全く受け入れられなくなってしまったのですが…今いちばん悩ましいのは、夕食の支度です。

今までは、おじいちゃんが来るから…と、ある程度の品数を作って、テーブルが埋まるくらいにおかずが並んでいました。そうできたのは、おじいちゃんを敬う気持ちがあってのこと…でも、おじいちゃんに対する気持ちが無くなってしまった今、そこまで夕食作りを頑張ろう!とは思えないのです。手っ取り早く野菜が採れるタンメンとか、一品で済む丼ものとか、そんな感じになっちゃっています。

まぁね、夕食作りを頑張る気持ちにはなれないのだから、こればかりは仕方ないですよね。時間が解決してくれるのか?ずっとこの状態が続くのか?それは今の私にはわかりませんが…

 

今までは、おじいちゃん個人に対してというよりは、年配者としておじいちゃんに対するリスペクトの気持ちがありました。年齢のわりには元気で、背筋もピンとして、単純にすごいと思う部分もありました。でも、そんなおじいちゃんと深く関わるにつれて、嫌な部分が露骨に見えてきました。

いちばん最初に違和感を覚えたのは、おばあちゃんが脳梗塞で倒れて入院していた時のこと。七夕の時期だったので、病院のロビーには七夕飾りの笹が置いてありました。そこには、早く退院したい!元気になりたい!という入院患者さんの短冊が飾ってあって、その中におばあちゃんの書いた短冊もあって「早く家に帰りたい」と書いてありました。私はそれを見て、おばあちゃんの願いが叶うといいなぁって思っていました。

でも、普段から俳句を嗜むおじいちゃんはちょっと違っていて…おばあちゃんのお見舞いに来たときに、カバンから何やら短冊らしきものをたくさん出して、せっせとロビーの笹に飾り始めたのです。そこに書いてあったのは、おばあちゃんのことを想った句というよりは、趣向を凝らした自慢の俳句の数々…おじいちゃんは、おばあちゃんが入院で大変なときに、ロビーに飾るための俳句作りをしていたんですよね。この時に初めて、おじいちゃんは自分のことしか考えていないのかもなぁ…って思いました。

 

その後、おばあちゃんはリハビリ施設に入ることになりました。おじいちゃん、しょっちゅうおばあちゃんのお見舞いで施設に通っていましたが…おばあちゃんに会いに行くというよりは、お見舞いを口実にして施設にいるお仲間たちのところへ話をしに行っていたようなのです。コロナ禍になって面会が窓越しになり、お仲間たちに会えなくなってからは、おばあちゃんのところへパッタリと行かなくなりましたからね。

そして、おばあちゃんが亡くなってしまった時のこと。ご近所の奥さん達が集まって弔問に来て下さったのですが、おじいちゃんは帰ろうとするみなさんをわざわざ引き留めて、自分の前にズラッと座らせて、自慢のウンチク話を始めてしまったのです。これには奥さま達も苦笑い…忙しい中わざわざ来て下さったのに、私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

こういうおじいちゃんの自分勝手で嫌な部分が私の中で蓄積していって、先日の事件がトドメとなり、おじいちゃんに対するリスペクトの気持ちは完全に無くなりました。さらに言うと軽蔑の気持ちまで生まれています。

リスペクトと軽蔑って、実は紙一重なのかもしれませんね。リスペクトの気持ちが強い分だけ、こんなはずじゃなかった…という部分が見えてくると、一気に印象が悪くなってしまうこともあり、場合によっては軽蔑の気持ちまで生まれてしまうんですよね。

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うちのおじいちゃんは、ひとことで言うと「嫌なタイプのお偉いさん」っていう感じです。役員のようなものをたくさんやってきて、まわりに持ち上げられることも多く、そんな中でやりたい放題の癖がついてしまったのかもしれませんね。あれ…何だか、どこかの政治家さんとか、オリンピックを金の力で動かしていたお偉いさんみたいだぞ…

私にとって、こういう「エラい人」がいちばんダメなタイプでして(>_<) まだまだおじいちゃんの憂鬱は続きそうです。何だか今回は、単なるおじいちゃんの悪口になってしまいましたね…すみません。