スピリチュアルを知り始めると、いろいろな概念が出てきます。
今日も愛のある行動を!とか。
光の戦士として共に戦いましょう!とか。
闇スピリチュアルに気をつけて!とか。
何が本当で、何が嘘なのか。もう訳がわからなくなります。
基本は、自分の感覚を信じること。その概念が、自分にとって心地よいのか。それとも不快なのか。
たぶん今主流になっている概念は、ほとんどが私にとって不快なもの…です。残念ながら。
自分にとって都合の悪い人のことを、自分を貶めるエナジーバンパイアだ!と言って遠ざける人。そんなあなた自身が、誰かのエナジーバンパイアになっているかも?とか、考えないかな?
嫌なことは全部天使に預けてしまおう!天使は私たちの味方だよ!って言っている人。そうやっていつまでも、自分自身から逃げるつもりなの?
今日も愛ある1日を!って言いながら、書いている内容は自分の講座への誘導だったりする人。そうやって、自分の信者をまだまだ増やすつもりなの?
こういう偽スピリチュアルな人たちが、互いに紹介とかシェアとかしていって、芋づる式にどんとん偽スピの概念が広がっている現状。
ここまでくると、正直言って怒りを覚えるレベルです。
こういうことを考えてばかりいると、いつのまにか私自身が闇に包まれます。
一旦闇に包まれてしまうと、日常生活でも孤独を感じる場面が増えます。きっと闇のオーラを発しているのでしょうね。
私の中にも、じんわりとした愛はあります。子供たちや、動物たちや、ありのままの自然…そこにある「愛」にふと、気づくこともあります。
発達障がいを抱えるうちの子供たちが、たまーに奇跡を起こすこともあって、そんな時は「光」や「希望」を感じます。
でも、そんな子供たちのことで「孤独」を感じることもあります。発達障がい児が集団生活を送ることや、その子供たちに親として寄り添うことは、なかなか大変なのです。
そして、偽スピリチュアルが横行している現状を憂い、腹立たしく思っているときは、恐らく「闇」の中にいるのだと思います。
そんな私の日常生活。愛も、光も、孤独も、闇も。何もかもがごちゃ混ぜの、カオスな状態です。
きっと私は、人よりも経験をしたがっている魂の持ち主なのだと思います。
いいことも、嫌なことも、うれしいことも、寂しいことも…全ては経験。
だから、たまには闇に包まれる時期や、孤独を噛みしめる時期があったっていいのです。愛を感じる時期、光に導かれる時期もあるのです。
そうして経験が増えていって、自分の引き出しが増えていくことが、きっと私の魂が望んでいることなのかな…って、今は思います。
それにしても、偽スピリチュアル…何とかならないかな?
自分たちが間違っているなんて、これっぽっちも思っていないよね…。