Work "OUR" Light 〜Juan's blog〜

ブルーレイチルドレンJuanの、スピリチュアルな?つぶやき

思考の中心に神を置く

今日は午後から、分散登校から帰ってきた子供たちとドライブに出かけました。ドライブに出ると、いつも大量のエンジェルナンバーを発見するのですが、今日特に気になった「505」について、帰ってから調べてみました。

いつもお世話になっている More Than Ever というサイトに載っていたのは…「思考の中心に神を置きましょう」…ん?どういうこと?

そのサイトでは続けて、意味するところが詳しく書かれていました。More Than Ever のサイトに載っていた内容を、そのままコピペさせてもらいますね。

 

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…神を思考の中心に置くということは、神の心をもって物事を考えたり判断したりできる状態を指します。

とてもニュートラルな状態であり、私たちが魂の存在として本来取るべき思考形態になります。

神を思考の中心に置いている人は、損得や利害、自他からのジャッジから解放された愛のある行動を取ることができます。

しかし、神を中心に据えることができる人はそう多くはありません。

 

思考の中心に『自分』がいる人は、自我が強く、傲慢で、人を見下すような人間になります。

思考の中心に『他人』がいる人は、人からどう見られるかを気にして、常に人の判断に流されてしまいがちになります。

思考の中心に『金銭』がある人は、何事も損得勘定で判断し、富で人の価値を計る人間になります。

(「魂を浄化するスピリチュアルヒーリング」より)

 

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この考え方、激しく共感です!私自身、今まではどちらかというと、思考の中心に他人がいて、いつも人の目を気にしていましたし、人の意見に流されていました。(今もたまに流されることはあります。)

More Than Ever のサイトでも参考にしていた「魂を浄化するスピリチュアルヒーリング」のサイトに、さらに詳しい内容が書いてありました。こちらも一部抜粋してコピペさせてもらいますね。

 

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…人生の中心に、神以外のものを置いた場合、どうなるかを見てみました。

*自分を置いた場合。
・自分が神になろうとして、エゴの強い人間になる。
・自分を飾ったり、傲慢になったり、人を見下したり、人をジャッジする。
・人や自分に対して、「しなければならない」「こうすべきだ」とルールで縛る。
・自分ができないことを認められないので、できないことを隠そうと偽善者になる。

*人を置いた場合。
・人目を気にしたり、人からどう見られるか・どう思われるかばかり気にする。
・人に依存してしまい、自分の判断よりも、人の判断を優先する。
・誰かを許せないと思っている時も、許せない人のことばかり考えているので、その人を自分の人生の中心においている。

*お金や名誉などこの世の富を置いた場合。
・富に依存して、すべてを損得勘定で判断するようになる。
・富がないと自分の価値がないように感じる。
・富があると、自分が価値ある人間のように感じる。
・富を追いかけている限り、満たされることがない。

(ちなみに、神さまは、わたしたちに貧しくあれと言っているわけではありません。富を求めるのではなくて、神を求めれば、必要なものはすべて与えられると仰っています。)

自分が何を人生の中心に置いているのかを意識して、中心に置いていると感じたものを否定するのではなくて、受け入れて、溶かしていきましょう。

神を中心にして生きることで、
・エゴからも解放され、
・他人に振り回されることからも解放され、
・他人を憎むことからも解放され、
・自分で裁くことからも解放され、
・自分の罪を隠す偽善からも解放され、
・未来の不安からも解放され、
思い悩みから解放されるのです…

 

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こういう考え方が完全にできる人は、なかなかいないのかもしれませんが…こういう考え方を理想像として、いつも頭の片隅に置いておくだけでも、普段の行動が違ってくるかもしれない?と思います。

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エンジェルナンバーから繋がって、また新たな概念を知ることができました(^_^)