私が今進んでいる道は、本当に狭い…まわりとの価値観の違いに気づかされたり、自分の考えになかなか共感を得られなかったりするたびに、そう思わされます。
自分の魂の声を無視して、虚勢を張っているだけの人が発する上辺だけのメッセージに、多くの人が共感していたり。
一見すると華やかな世界の裏にある「まやかし」に気づく人が全然いなかったり。
何で、どうしてこうなんだろう。自分に正直になればなるほど、自分を突き詰めれば突き詰めるほど、どんどん孤独になっていく…そんな現実に、自分がどんどん埋もれそうになることもあります。
でも…私が今進んでいるのは、そんな狭い道ではあるけれど。
自分でひとつひとつ選んできた道なので、自分にとっては安全地帯ともいえる道であり。
あまりの狭さに時折不安にはなるけれど、道自体はしっかりとできているはず…そこを思い出せば、狭くてもしっかりと進んでいけるはずです。
私が今進んでいる、狭くて安全な道。具体的にどんな道なのか?想像してみるのも楽しいかも!って思い立ち、私もちょっと考えてみました(^_^)
自然が好きなので、田んぼの中の畦道とか?それとも、海沿いの気持ちいい遊歩道とか?…うーん、何かが違います。
私のイメージは、住宅街の中にある普通の道。縦横無尽に広がる道の中から、自分が進んでもいい道をひとつひとつ確かめながら進んで行く…そんなイメージがピッタリです。
住宅街なのでいろいろな人がいて、心細さもありつつ…でもちゃんと気づきがあって、出会いもあって…そういうのを糧にしながら、狭い道を進んでいきます。
そうして進んだ先に、高層ビル群があったりもします。高いところに登りたくなるのは人間の性なのか?私も以前ビルに登ってみたことがありますが、そこから見た景色が自分には合わないと気づき、いち早くビルから降りました。
今もそういう高層ビル群に出くわすと、やはり登りたくはなるのですが…自分には合わない景色だと知っているので、ビルを横目にしながら自分の道を進むって感じです。
実際に高層ビルに登って、そこからの景色を楽しんでいる人たちもたくさんいますし、むしろそういう人たちの方が多い気がします。
今までの夜の時代なら、そんなビルからの景色を楽しみ続けることもできたのですが…これからの昼の時代は、ひとりひとりの自立が求められる時代です。つまり、どんな人でもいずれはビルから降りて、自分の足で歩いていかなければいけない…いつまでもビルに留まり続け、ビルに依存しているわけにはいかないのです。
そのことに気づいてビルから降りて、自分の足で歩き始めている人たち。今はまだ道は狭いですが、自分で選んできた道ならば、きっと正しいはずです。
だから自分を信じて、安全な道をしっかりと選んで、狭くても堂々と進んでいけばいいんです(^_^)