Work "OUR" Light 〜Juan's blog〜

ブルーレイチルドレンJuanの、スピリチュアルな?つぶやき

「開拓者」

前回の記事で書きましたが、腰の調子が良くない日々が続いています。明日少しだけ時間が取れそうなので、医者に行って診てもらおうと思います。

そんな中。昨日のラヴィット!に、サプライズで日食なつこさんが生出演されたんです!!テレビ番組で生演奏をされるのは、ほぼ初めてとのこと…すごい!超レアじゃないですか!!

でも、たまたま息子を学校へ送って行く時間と被ってしまい、リアタイ視聴ができなかった…リアルタイムで驚きたかった!できれば同じ時間を共有したかったです。

夜になってからTVerでアップされていて、なつこさんの演奏を拝見することができました。披露してくれたのは、M-1で取り上げられた「ログマロープ」と「開拓者」の2曲。もう、ピアノとドラムだけとは思えない圧巻のログマロープに感動!そして、ピアノ弾き語りで披露された開拓者は、聴いていて魂が震えました。その場にいた出演者のみなさんが、本当に羨ましかった…あんな距離でなつこさんの演奏を聴いたら、本当にすごいんだろうなぁ。

今ならまだ、TVerでなつこさんの圧巻の演奏を見ることができます。たぶん来週の火曜までかな?それまで私も、何度も見ようと思います。(できればずっと見られるように、どこかに残しておいてほしいくらいですよ…)

 

今回初めて聴いた「開拓者」。10年以上前に作った曲だそうですが、本当に魂震える素晴らしい曲です。長くなりますが、歌詞全文を掲載させてもらいますね。

    *****

 

一般的に普通1分で歩く距離を
3分4分かけて歩いてく人がいる
1歩踏み出すたびにその意味を考える
ちゃんと確認してからじゃなきゃ
進めなくて遅くなる

何も考えない日々は
いくら積もろうが星の瞬きほど
哲学を探るんじゃない
置き去りの真理から何か見出せ

いずれあたしも死んでいく
死に方はきっと選べない
ならば生き方を選びましょう
前例がないような奇抜なのを

誰も真似できない
これが最強の生き方だ

専門的にのめり込めばのめり込むほど
一般的な普遍性に気付けなくなってゆく

全て考えすぎるから
いくら進もうが景色は変わらない
大事なものとそうじゃないもの
今はごちゃ混ぜで区別はしないの

口出す前にまず動いた
理由はあとから考えた
既存の運命があるのなら
それを打ち壊して道を拓け

隙間という隙間に可能性を建てる開拓者

いずれあたしも死んでいく
それが明日かも分からない
だから生き方を選ぶのだ
前例がないような奇抜なのを

人は怒って泣いて笑って
いろんな色して生きていく
所々汚れた黒は
涙で滲ませた苦い記憶

いつか重ねて青空で塗り潰すのさ

(開拓者/日食なつこ)

 

    *****

昨夜、ひとりでゆっくりお風呂に入っていたときに。息子がひょこっと顔を出して「ママ、おやすみ。またったー(また明日)」と声をかけてきました。

ひとりでゆっくりしたいのになぁ…という気持ちと、わざわざおやすみを言いにきた息子の可愛らしさと。いろんな想いが交錯しました。

素直さに惹かれて結婚した旦那さんは、実はできないことだらけの人で。そんな私たちから産まれた子供たちも、しっかりと不器用さを受け継いでしまった…結局、いろいろと苦労をする羽目になったけれど。

それでもこうして、毎日楽しく暮らしていて。そんな中で今の私は、無理をしすぎて腰をやられてしまっていて。家族に甘えることも必要だし、母親過ぎなくてもいいんだよ…そんな学びをしている最中で。

そして、ふと浮かんだ言葉。

「誰も真似できない、これが最強の生き方だ」

そんな私は、隙間という隙間に可能性を建てる開拓者、なのかも?しれない…

 

今は体が悲鳴を上げているけれど。

焦らず、ゆっくり、少しずつ。

自分で決めた、自分の道を歩いていこう。

f:id:hattatsumamajuan:20240201172709j:image

(…ありがとう、なつこさん!)

 

 

 

特大ブーメラン襲来

前回の記事で、病というのは大きなサインだから、しっかり時間を取って自分のケアをしなきゃいけないんですよ!的なことを書いたのですが…

あれから何と…私自身がギックリ腰のような症状に襲われてしまいました!

自分の発言に対する、特大ブーメランやん、これ…アイタタタ(>_<)

 

どんな感じだったのか?といいますと。

土曜日の夜、疲れたので少しだけ横になって、さあお風呂に入ろう!と思ったら。

何これ…腰が砕けるような激痛。

今までも、軽いギックリ腰になったことはあるけれど。こんなにヤバいのは初めてです。

やっとの思いでお風呂に入って、痛みを堪えながら寝て。

そして、次の日の朝…え、立てない。

何これ…立てないじゃん!トイレにも這って行かなければいけないほど…

やっとトイレに辿り着いたはいいけれど、そこから便座に座るのも一苦労で。壁や手すりにつかまって、何とか腰を上げて、座って…本当に、こんなに動けなくなったのは初めてです。

たまたま日曜日で旦那さんが在宅だったので、ひとまず家事は旦那さんにお願いしました。旦那さん、もともと料理は得意なのですが、後片付けや洗濯は苦手…洗濯は後回しでもいいから、食器の洗い物だけはやっておいてね!と伝えました。

 

本当に動けない。寝ているしかない。でも、トイレだけは行かなきゃいけない…トイレへ這って行こうとするたびに、息子がそばに来てくれて、ドアを開けてくれたり、支えようとしてくれたり…本当によく見ているし、気づくし、優しい子やなぁ。

さらに、トイレに掛けてある相田みつをの日めくりカレンダーも、いつのまにか今日の分になってる!これも息子が気を利かせてくれたみたいで。さすがやね、ゴールデンチルドレン!

一方で娘は、私に全く近寄ろうとはしませんでした。私の症状があまりにもひどいので、どうしたらいいのか?わからなくなり、もしかしたら怖くなってしまったのかも?しれませんね。

 

日曜日は本当に、全く動けなかったのですが。月曜日になり、ゆっくりと、つかまりながらであれば歩けるようになりました。それでも息子を学校へ送って行くなんて、とてもできない…この日は息子に学校をお休みしてもらいました。たまっていた洗濯物を、息子に手伝ってもらいながら何とか片付け、あとはゆっくりと過ごしました。途中でパパが帰ってきてくれて、食材の買い出しと、昼ごはんを作ってくれて。この調子なら、明日には息子を学校へ連れていける!私の都合で、いつまでも息子を休ませるわけにはいかないですからね。

そして今日、火曜日。まだまだ腰の痛みはあるものの、ゆっくりとなら立って歩けるし、車の運転もできる…無事に息子を学校へ送って行くことができました。家のことも無理のない範囲で、少しずつ、少しずつ…って感じです。

 

今回、こんなことになってしまった原因のひとつは、私自身の運動不足。これはもう反省です。

そして、私が思う最大の原因とは…あなた、家のことはある程度家族に任せて、いい加減休みなさいよ!という天からのサインのように思うのです。

以前も、家族のことでストレスをためていた時期に腰の激痛に襲われたことがあります。その時は尿管結石だったのですが、発症したのが日曜日…パパが家にいる日。今回も同様に、動けなくなったのは日曜日です。

つまり、パパが家にいる日曜日に私が発症することで、私は動きたくても動けず、強制的に家族が動かなければならなくなるんです。今回もそのパターンです。

 

確かにここ最近、休日は一日中テレビで競馬三昧のパパに対して不満を持っていました。何で私ばっかり、いろいろ気を回してるんだろう…バカみたい!って思っていました。

それが、こう来るとは。

遠慮がちにしか家族にものが言えない私に対し、天から強制執行されたってわけです、たぶん … もし、そうならば … あー、コワっ!

f:id:hattatsumamajuan:20240123144534j:image

でもね、今回こうなったことで、新たに発見したこともあって。

自分が動けなくなると、手すりの存在が本当にありがたいんです。一人暮らしのお年寄りとか、腰を痛めている人とか、日頃きっと不安な気持ちで過ごしているのかなぁって思ったり。

人はやっぱり、ひとりでは生きていけなくて。困ったときは助け合うほうがいいよなぁ…とか。当たり前のことに改めて気づけたりもしました。

あとは、当たり前のことが当たり前にできる喜び!あれだけ面倒臭かった洗濯物をタンスにしまう作業が、自分でできるようになっただけで、こんなに嬉しいのか!って思ったり。

 

私自身、やっぱりもっと家族やまわりの人に甘えなきゃね…そして、運動もしなきゃ!

ひとまず、私同様に運動不足気味の息子を誘って、ウォーキングから始めようと思います(^_^)

 

…とはいっても。

焦らず、ゆっくり。少しずつ、少しずつ!

 

 

 

追記:日食なつこさんの「必需品」という曲。心身ともに弱っている今の私に、ものすごく染み渡ります。

YouTubeで聴けるので、ぜひ!

 

  *****

 

一生懸命やってると

足りなくなってくるのが人です

やってもやっても追いつかない

だから明日が来るのです

 

全速力で走ってると

止まれなくなる時があります

ほんとは泣きたい君がいて

だから僕がいるのです

 

だから明日が来るのです

(必需品/日食なつこ)

 

 

 

「お試し」がやってきている

時代の大転換期である今、いろいろなところに「お試し」がやってきている…直近で大きなものは、ダウンタウン松ちゃんの件ですかね?

お笑いの世界であれだけの地位を築いた人でも、過去の自分の行為を誤魔化そうとした(少なくともそういう印象を与えた)ことで、一気に坂道を転げ落ちてしまった…本当に恐ろしいです。

政治の世界でも、闇献金の件で捜査が進んでいるようですね。いよいよ岸田派にもメスが入りそう…首相がどんな対応をしていくのか?これから問われていくことになりそうです。

 

私たちひとりひとり、個人のレベルでもお試しがやってきているような気がします。

最近よく見聞きするのは、コロナやインフルエンザなどの病に襲われてしまう人が続出していること。

病というのは大きなサインであり、自分のケアにちゃんと時間を割いて、心と体をしっかりと休めなさいよ…ということなのですが。

現代人の多くは、仕事とか、やるべきことがあるとか、そういう自分の都合を優先して、ゆっくり休むことをしない人が本当に多いんです。

手っ取り早く治したいから、とりあえず薬を飲んで、痛みや不快感だけを取り除いて、元気になったと勘違いして日常生活に戻る…これではダメなんです。

また、具合が悪いからとりあえず横になって休んでいても、頭の中は仕事をどうするか?とか、休んだ分をどう取り返すか?とか、休むことなくグルグルと考えている…これもダメ。

心と体は繋がっていて、丁度いいバランスで成り立っているので、不調を感じたら心と体の双方とも、ゆっくりと休ませることが大事なんです。

 

私が住む地域で、カフェを経営しながら悠々自適な暮らしをしている年配の男性がいらっしゃいます。人生の先輩的な佇まいのその方は、人を惹きつける魅力があるようで、そのカフェには多くの人が集まっています。

この年末年始、そのカフェは10日間ほどぶっ通しで営業したそうですが、無理をしてしまった影響か、その方が先日コロナで倒れてしまいました。高熱だけではなく、味覚障害とか、関節痛、神経痛、頭痛、胃痛、睡眠障害…ひどい後遺症に悩まされているそうです。

まわりの人たちは、この方のことを本当に心配しています。今は無理をしないで、元気になるまでゆっくり休んでください…と。

でもこの人は、まわりの忠告を聞かずに、仕事のことばかりを考えているようです。満身創痍の中、仕事関係で月末に海外へ買い付けに行く予定なのだそうです。

 

この方のSNS投稿内容を見ると、書いてあるのはコロナへの恨み節と、陰謀論的なこと…確かにコロナにはそういう側面もあるのだけれど。

でも、今この人がすべきことは、まわりの言うことを聞いて、心身共にしっかりと休むことなんです。陰謀論とかそういうのは、元気に復活した後で、思う存分に語ればいいんです。

 

歳を重ねると、頑固になってまわりの忠告を聞けなくなる人はたくさんいます。うちのおじいちゃんもそうです。でも、今の時代の転換期においては、若い人(特に子供たち)のほうが、新たな時代のことを本能的に感じ取っていたりもするんですよね。

カフェ経営の年配男性、しっかりまわりの忠告を聞いて、今は無理をしないほうがいいのですが…こればかりはもう、本人が自分で気づくしかないんですよね。

f:id:hattatsumamajuan:20240119122922j:image

 

 

 

ゴールデンチルドレンと笑顔

もうすぐ3月。小6の息子のクラスでは、卒業に向けた動きが始まっています。

学校では、6年生を送る会の準備とか、卒業式のこととか。親たちの間では、謝恩会の計画とか、その後にお泊まり会の計画とかもあるようです。

敏感すぎるうちの息子は、人が大勢集まるところが苦手です。6年生を送る会は本人が頑張れる範囲で、途中までなら参加できるかもしれないけれど…卒業式に関しては、張り詰めた空気の中で1時間以上もその場にいるのは、きっと耐えられない…ので、参加を見送ることにしました。

親たちが計画している謝恩会やお泊まり会も、息子にとっては苦痛でしかないので、双方お断りさせてもらいました。こればかりは息子の特性で仕方ないので、ご理解ください…と申し添えました。

 

今までの私だったら、こういうお楽しみ計画に息子が参加できないことで、同級生たちと息子を比べてしまい、ものすごく胸がざわつきました。

でも最近の私は、いい意味で諦めがついたというか。多少心が波立ちはするけれど、そこまで落ち込まなくなりました。息子は息子なんだから、仕方ないよね…って、ようやく思えるようになりました。

卒業式には参加できないけれど、同級生たちみんなが立派に卒業していく姿はきっと素敵なのだろうし。謝恩会もお泊まり会も、きっと賑やかな雰囲気で楽しいのだろうし。それはそれで、みんなが楽しめればいいよね!って、ちゃんと思えている自分がここにいる…うん、成長したね!私。えらい、立派だよー(^_^)

 

ところで…敏感すぎる性質の息子。地球上では発達障がいの診断を受けていて、スターシード的にはゴールデンチルドレンだと思われます。

彼の行動を見ていると、一貫しているのは…とにかく人を喜ばせたい!楽しませたい!というところ。例えば…

家族それぞれが見たいテレビ番組を、息子はちゃんと把握していて、その時間になったらチャンネルを合わせてくれたり、いない時は録画をしておいてくれます。ちなみにパパは競馬の番組や大河ドラマ、私はバラエティ番組とソーイングビーです(^_^)

となりの母家でひとり暮らしをしているおじいちゃんのところへも、息子はたまに遊びに行っています。おじいちゃんがテレビを見ている横で、息子はただゲームをしているだけ…それでも、おじいちゃんにとっては楽しい時間のようです。

相手を楽しませるという意味で、息子はイタズラも大好きです。うちの実家へ遊びに行くと、必ずテレビに何かしらイタズラをして帰ってきます。二重音声にしたり、字幕を出しっぱなしにしたり…そういう時には実家からSOSの電話が来るのですが、それも含めて息子は楽しんでいるようです。

自分の大好きな動画を人に見せるときも、息子なりにその人に合ったものをチョイスしているようで。放課後デイのゲーム好きな先生にはゲーム実況動画を、お年寄りの人たちには最近ハマっているエガチャンネルを、スクールカウンセラーさんには「いじめをノックアウト」という番組を見せているようです。

そして、元々言葉がうまく使いこなせない息子は、動きで気持ちを伝えることが多いのですが、この動きがとってもコミカルなのです。何かを始めるときには、必ずマリオのレッツゴーのポーズをしますし。学校や放課後デイから帰るときは、舞台役者のように大袈裟にお辞儀をして帰ってきますし。そんな彼を見ていると、まるでチャップリンのようです(^_^)

f:id:hattatsumamajuan:20240118170010j:image

まだまだ子供なので、もちろんワガママなところもたくさんあるけれど…それだけではない何かというか、いろんなことがわかっているような印象が、やはり彼にはあるんですよね。私のほうが彼に教わることもたくさんありますし。

クリスタルチルドレンの中3の娘は、そこまで達観してはいなくて。その時点で自分に与えられたことを、全力で頑張っている感じです。

息子に関しては、学校に馴染めない、地域の仲間に馴染めないという苦しい部分はあるのだけれど。そんな中でも息子と関わってくれる人たちは、息子といると結局みんな笑顔になる…それは息子がその人を楽しませたいから、笑顔になってほしいから…なんだと思います。

やはり息子は、生まれながらに太陽の明るさを持つ、ゴールデンチルドレンなのかなぁって、改めて思います。そんな息子との日々は、大変だけれど楽しいし、何より飽きない!息子の親である私自身が、いちばん笑顔にしてもらっているのかもしれませんね(^_^)

 

 

本当の自分と出会う旅

いつもブログを読ませてもらっているオレンジャーさん。降りてきたメッセージを、ほぼ毎日投稿してくださっています。

先ほどアップされたばかりのメッセージが、あまりに突き刺さる内容だったので、すぐにでもシェアしたい!と思い…取り急いでブログ書いています。

タイトルは、アウト・オン・ア・リム。

木の上の果実(真理)を得るためには、危険を冒して枝の先までいかなければならない…という意味です。

 

    *****

 

本当の自分と出会う旅
自分を信じる=自信
頭と体と魂の統合
私は誰?
偶然はない 
すべては上位次元のルールに基づいている
科学では解像度が粗くて証明出来ない
今を自由意志で生きる
全ての答えは自分の内にある。目を開いて見よ。
人を愛するためにはまず自分を愛する
私たちは自分がなりたいと思えるものになれる
力と知識をすでに持っている
我々にはすべてのことが可能である
目に見えない精神力を認識したら自分自身の改革は早まるだろう
過去や未来ではなく今が一番大切
霊的成長
アウト オン ア リム
果実を得るには、危険を冒して
枝の先まで行かなければならない
 
自分自身を見よ。自分自身を探れ。
そうすれば自分が宇宙であることがわかるだろう
 
関係がダメになるのは相手のことを
よく知らないからではなく、
自分自身がよくわかっていないからだ
 
すべての回答は己のうちにある
自分自身と今すぐ会うがよい
自分で撒いた種は自分で刈り取らねばならない
人間は自分の責任を認めることを拒否している
自分も真理の一部であることを悟る
心は魂の反映 魂は神の反映
文明の進化度合いは精神の発達で測られる
一人一人が自分の運命を作り支配している
エスブッダはバランスが取れている
がゆえに独身生活者である
思考は光よりも高い振動数を持っている
思考=愛である場合、
一番高いエネルギーレベルを発する
自分の感覚、心、直感を信じる
本当に自分の心の奥底にある気持ちを大切にする
人の本当のすみかはエーテルなのだ
霊的世界と肉体世界の再接続
エゼキテル書 俯瞰でみた姿の記録
世界は舞台。我々はその舞台で演じる役者
呼吸をコントロールできればずっと若くいられる
事実がその通りだからそのまま信じること
自然の中は本物だけ。偽りのない世界
 
美は存在の理由もいらなければ
説明する必要もない。
そのものであるだけだ。
そして他の何物とも関係はない。
分け合わなくてもみんなが全部を楽しむことができる。
そして減らない。美は美である。
 
人は現実の99%まで勘のようなものに導かれている
かみとはなにかではなく自分とは何か。
自分を世界中で一番幸せにしてくれるのは何か。
心の中には自分の意志と想像力で作り出した完璧な絵がある。
ファイタパラナ
よく働き、うそをつかず、他人を傷つけず
幸福とは自分が何を信じているのかを知っていること
 
自分を疑わないことと、
自分をいつも正しいと思うことは違う。
自分が正しいと思いこんでる人は、
他の人も自分と同じように考えるべきだと思っている

あるがままを受け入れる。自分自身を受け入れる
他の人の自由、ペース、あやまちも尊重する
恐怖の奴隷から解放する
自分や人を思いやるところからはじめる
一瞬一瞬が大切
全体を見ている
過去、現在、未来は互いに依存しあっていて実はすべて同じものだ
我々の魂はエネルギーの一種であり滅しない。かたちを変えて存在し続ける

 

    *****

以上、オレンジャーさんからのメッセージを引用させてもらいました。

f:id:hattatsumamajuan:20240115012142j:image

このイメージは、今回のメッセージから自分なりに受け取って感じたものを、鮮明なうちにそのまま描いたものです。

 

 

心のバランスと食生活

この年末年始、私にしては珍しく、忙しく過ごしました。家のこと諸々に加えて、同窓会等の集まりに行く機会も多く…そんな中で娘の受験勉強のサポートをしたり。元英語教師の私、娘の家庭教師として何気に活躍してます!

バタバタと忙しく過ごしていると、エネルギー切れを起こしてしまう私。いつもなら休んで回復しているところですが、この年末年始は休む時間を取ることができずにいました。

そうなると…無意識のうちに、甘いものでエネルギーを補おうとしてしまうんです。さらに悪いことに、いつも使っている甜菜糖を切らしてしまい、白砂糖で代用していたのがダメで、白砂糖は摂れば摂るほどさらに欲してしまう…ある意味で麻薬的な側面もあるんですよね。

さらにいうと、お正月のお節料理って、日持ちさせるために砂糖をタップリ使っているものが多いんです。これがまたダメ…どんどん食べてしまう…ああ…

お雑煮のお餅とか、いただいた大量のブラックサンダー&コーヒーとか。お正月にこういうのばかり食べ続けていたら、気づいた時には体の調子がおかしくなっていました。重いしダルいし、鼻詰まりまで起こしていました。

f:id:hattatsumamajuan:20240113132229j:image

 

お正月が過ぎて、子供たちの学校が始まって、いつものペースに戻ったところで。お正月に溜め込んだ体内の余分なものを、何とかして排出しなければ!!と思い、少しずつ取り組んでいます。

まずは、基本的に飲むものはお水または白湯。白砂糖は甜菜糖に切り替えて、ブラックサンダーはまだあるけれど食べるのやめて、いただいたもうひとつのお菓子であるオールレーズンにして…これだけで、だいぶ調子が戻ってきました。

心のほうも、休めるときにはしっかり休んで。やらなきゃいけないことがあっても、休むことを優先して。体のほうは、特に足を冷やさないように、靴下を2枚履きにして。暖房や加湿の力を借りまくって、しっかりケアをして。

心と体のバランスを取るために、日々の生活にゆとりを持つことって、やっぱり大事なんだなぁ…今回改めてそう感じたのでした。

 

 

 

ロックな生きかた

中学・高校の同級生だった、Nという女の子。私は彼女と、中学も高校も同じ吹奏楽部でした。

中学の頃はNも私もトランペット担当で、一緒に活動することも多かったし、部活ではよく話をしていました。でもNは、ちょっと人とは変わったところがあって…キャラや話し方が独特で、自分のことを「ワイ」と呼んだりしていました。

私はNのことは嫌いではありませんでしたが、変わり者の彼女と一緒にいることで、私まで変わり者だと思われたくなくて、彼女とは一定の距離を置いていました。(今思えば、当時の私は何て未熟者だったのだろう…)

 

ある日、そんなNと一緒に下校することになりました。みんなから変わり者だと思われていたN、友達と一緒に歩いて帰る経験なんてなかったようで、私と一緒に帰ることを本当に喜んでくれました。私自身も楽しかったのですが、やはりまわりの目が気になってしまい、それ以降彼女と一緒に帰ることはありませんでした。

やがて中学を卒業し、Nと私は同じ高校へ行き、再び同じ吹奏楽部へ入ったのですが、Nは中学と同じトランペットを、私はユーフォニウムという別の楽器を担当することになり、担当楽器が違うことでNとも距離が開くようになりました。NはNで、その当時のトランペットのみんなと仲良くしてはいましたが、それでもやはり変わり者だと思われていました。

 

高校を卒業してからは、Nとは疎遠になり、何をしているのかもわからなくなりました。同級生から伝え聞いたところによると、Nは看護師をしているとのこと…そして同窓会へNを誘ったところ、明らかに不快感を示したのだそうで。

同窓会の場で、Nは何でそんなに同窓会を嫌がるのだろう?って、みんなが不思議がっていたけれど。私は、そりゃそうだよな…って思っていました。

恐らくNは今、どこかで看護師としてNらしく頑張っているはずで。でも同窓会に来てしまうと、あの頃の「変わり者の」Nとして見られてしまうわけで。そんなの勘弁だよなぁ…って、私は思うのです。

 

私は学生時代、まわりの目を気にしてNときちんと向き合うことをしませんでした。私はそのことを今、ものすごく後悔しています。

あの頃のNは、自分らしく、偽りなく生きていたんです。あまりに個性的すぎて、その当時まわりに受け入れられなかった…ただそれだけのことで。

今も昔も、Nはきっと変わらないのだろうし。NはNらしく生きているのだろうし。

私は今になって、そんなNと腹を割って話してみたいと思うけれど。きっとNにとっての私は、忌々しい学生時代の思い出の一部であり、思い出したくない思い出の一部なわけで。なので、今後Nと語り合うことは…Nの気持ちが変わらない限りは、残念ながら無いと思います。

ここ最近の同窓会ラッシュだったり、日食なつこさんというロックなアーティストとの出会いだったり…そんな中で私はNのことを思い出し、あの頃のNは自分自身から全くブレることなく、ロックな生きかたをしていてカッコよかったなぁ…私も彼女みたいにカッコよく生きたいなぁって、今こうして思うのです。

f:id:hattatsumamajuan:20240113014010j:image