Work "OUR" Light 〜Juan's blog〜

ブルーレイチルドレンJuanの、スピリチュアルな?つぶやき

エンパスが本当に寄り添うべき人

エンパスとは、他人に対して共感しすぎるタイプの人たちのことです。良く言えば人の気持ちに寄り添えるのですが…その性質が災いして、必要以上に苦労を背負い込んでしまうこともあります。

例えばバッドエンドの映画を見て、不幸になってしまった主人公に共感しすぎてドーンと滅入ったり。自分のことを頼ってくるダメンズに対して、私が面倒見てあげなきゃこの人はダメになる!って放っておけなかったり。エンパスの人って、こういう苦労をしがちなんですよね。

 

そういう私自身も、エンパスの性質を持っていると思います。ホラー映画なんてまともに見ていられないですし、怪談話とか世にも奇妙な物語とかもダメで…恐怖に慄く主人公=自分として考えちゃうんですよね。

そして…つい最近、そんな私に事件が起きました。先日少しだけ書きましたが、隣の棟に住んでいるおじいちゃんのことです。

結構気持ち悪い内容なので、先日の記事では詳しく書くのを控えましたが…すみません、今回は具体的に内容に触れさせてもらいますね。下ネタ系、エロ系がダメな人は、この先読むのをやめた方がいいかもしれません。

 

 

1週間ほど前のこと。台風接近の恐れがあったので、前もってみんなの分のお弁当を買って、おじいちゃんにも届けたんです。おじいちゃんはいつも2階の部屋で過ごしているので、2階に上がって行って、いつものように大きな声で「お義父さん!すみません、ドア開けますよ!」と声をかけました。

返事がありませんでしたが、テレビの音が聞こえたので、いるんだろうな…と思ってドアを開けたら。おじいちゃん、下半身裸になって、布団に横になってテレビを見ていました。…ん?なぜ下半身が裸?…

あ。気づいてしまいました。おじいちゃん、御歳94歳にして、真っ昼間から自慰行為に耽っていたのです。しかも、私の声に気づいているのかいないのか?一向に行為をやめようとせず…

私はあまりの光景に、ただその場を後にするしかありませんでした、

 

後になってよく考えてみて。まず、自慰行為そのものは仕方ないにしても、おじいちゃんはひとりで母屋にいるので、夜にしても全然いいわけですよね。それを昼間っから堂々としていることがまずダメで。

次に、もしおじいちゃんが私の呼びかけに気づきながらも行為を続けたのであれば、私に対する気遣いがまるで無いってことですよね。普段おじいちゃんの話とかをよく聞いてあげているので、この嫁さんなら平気だろう…って、はっきり言ってナメられたわけです。

そして、もし私の呼びかけに気づかずに行為を続けたのであれば、それはそれで邪魔をしちゃいけないというか、もうそんな光景なんて二度と見たくないわけで。もう不用意に2階へは行けなくなりますよね。

 

この一件があってから、最初はおじいちゃんに対する怒りの気持ちが強かったです。今まで私なりに気を遣って、おじいちゃんと良い関係を保つ努力をしていましたし、ダラダラとつまらないウンチク話の聞き役にもなっていました。でも、その気持ちが完全に踏みにじられたわけですからね…これ以上ナメられないように、おじいちゃんに対して毅然とした対応をしていました。

すると、おじいちゃんは私の変化を察したのか?急に大人しくなりました。何やら私に頼み事があったようですが、結局私に言い出せずに帰ってしまい。別にそういうのはやってあげるのに…まぁいいや、仕方ない。ちょっとかわいそうな気もしましたが、今はこれでいい!と自分に言い聞かせました。

 

ダメおじいちゃんのことを、少しだけかわいそうだと思ったこと。これって完全にエンパスの発想ですよね。でもその時に思ったこと…エンパスとして、今私がいちばん寄り添うべきなのは、誰?

それは…おじいちゃんじゃなくて、今まで頑張ってきた「自分自身」でしょ!

つまらない話に付き合ってあげたり、病院とか買い物とか連れて行ってあげたり、ご飯も好き嫌いとか気を遣ってあげたり。そこまで頑張ってきたのに裏切られてしまって、ショックを受けている自分自身に、今は寄り添うべきなんじゃないの?!

そう気づいたら、今までおじいちゃんに対して我慢してやってきた気持ちの積み重ねが、一気に崩壊してしまいました。

ドヤ顔でウンチク話を何度も何度もされたこととか。口出しばかりで何も手伝ってくれなかったこととか。年甲斐もなくおばさま達に声かけ(つまりナンパ)したこととか。そういう今までの悪行がワーッと押し寄せてきて、今回の事件がトドメの一撃となり…もうこれ以上、おじいちゃん無理!って状態になってしまいました。

自分の気持ちがこうなってしまうと、今日の夕食時におじいちゃんがうちに来ることすら憂鬱になりました。まぁいつも通りに支度をして、一緒に食べましたが、本当にキツかったです。

これはね、今までおじいちゃんに対して、知らず知らず我慢を重ねてきたことに、ようやく自分で気づいたとも言えるんですよね。そんな自分にしっかりと寄り添ってあげるのが、エンパスとして今の私が自分自身にできることだと思います。

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…今回はかなりエグい内容でしたね。読んでいて気分を悪くされたと思います。すみませんでした。

 

 

 

 

我流・お風呂で浄化!

今回書く内容、人によっては受け付けないかもしれません。もし読んでいて、途中で気持ちワルっ!て感じたら、スルーしてくださいね。

何か嫌なことがあったり、モヤモヤしたものを抱え込んだときに、私はお風呂で自分流の浄化作業をします。最初に言っておきますが、かなり変な方法です。条件がひとつあって、コレをする時は、自分が最後にお風呂に入ってください。

 

まずは普通に浴槽に入ります。普通ならば、洗い場でシャンプーしたり、身体を洗ったりするのですが…シャンプー類は一切使いません。

では、どうするのか?というと。浴槽に浸かりながら、浴槽内で頭も身体も洗うのです。タオルやスポンジを使うのではなく、手で洗います。

髪は、まず後頭部を浴槽に浸して指の腹でマッサージをしながら洗い、次に前頭部を前かがみの状態で同じように洗います。

顔や身体は手を使って、気になるところを中心に洗います。多少こすってもオッケーです。

この時に大事なのは、自分の中に溜まっているドロっとした感情も一緒に、お湯の中に洗い流すイメージをすること。全部をお湯に流し込みます。

自分の中でスッキリした感じがしたら、浴槽から出ます。浴槽内のお湯は、自分から出た髪の毛とか、垢のようなものとか、自分の中にあった余分なエネルギーっぽいものとか…とにかくすごい状態になっています。浴槽の栓を抜いて、自分から出たものが流れていくのを見届けて…最後は浴槽をシャワーできれいに洗い流して、終了です。

 

この方法でお風呂に入ると、シャンプー類を使っていなくても、何となくスッキリした感じがします。あくまで個人的な感想なので、シャンプー類を使いたい場合は浴槽内で使って、最後にシャワーで流してもいいと思います。

ただ、シャンプー類を使わないほうが、自分の中から出てきたものをしっかりと確認できます。髪の毛とか垢のようなものとか、気持ち悪く感じるかもしれませんが…さっきまで自分の一部だったかけら達でもあるんです。

自分から出てきたものを、ありがとう、おつかれさま!って気持ちで洗い流してあげること。これが結構、浄化になる気がするんですよね。

あ、ただ…ロングヘアの方の場合、髪の毛を大量に流してしまうと、詰まってしまう恐れもありますね。その場合は、ある程度髪の毛だけは取ったほうがいいかもしれませんね。

 

さて。気持ちワルっ!て感じることなく、最後まで読んでくださった方。あなたはきっと、自分自身のことを肯定的に受け止められている方だと思います。

自分から出た髪の毛とか垢とかを、気持ち悪いと感じずにいられることは、自分自身をありのまま受け入れているってことだと思うんですよね。

ちょっと汚い例えですが…子供たちってウンチが大好きですよね。その理由は、ウンチを自分から出た分身的な?何なら自分の子供のような?感覚を持っていて、愛着があるから、なんだそうです。

実は私、さきほどこの入浴方法でお風呂に入ってきました。気分はスッキリしましたが、多少頭皮の加齢臭は残っているかも…その辺が気になる方にはオススメできないかも?しれませんが、気が向いたら試してみてください!

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我流・嫌いな人への対処法

前回の記事で書きましたが…とある出来事がきっかけで、うちのおじいちゃんのことがダメになってしまいました。嫌いを通り越して、不信感を抱いてしまうレベル。言葉は悪いですが、本当にクソジジイ!できれば顔を合わせたくもないです。

でも…我が家は二世帯住宅で、おじいちゃんは隣に住んでいますし、毎日夕食は一緒に食べているので、いつまでも避けているわけにはいかないのです。

 

ところで。こういう感じで誰かのことが嫌いになってしまった場合。クソジジイ!この野郎!って相手を嫌うエネルギー、けっこう強いんですよね。つまり、嫌いな度合いが強ければ強いほど、その人のことが頭から離れずに、いつまでもこのヤロー!って気持ちが抜けないんです。

つまり言い換えれば、自分に与えられた貴重な時間を、大嫌いな人へのこのヤロー!に費やしてしまっているわけで。はっきり言ってもったいないですし、時間の無駄なのです。

だから、ある程度このヤロー!って気持ちを吐き尽くしたら、いつまでもこのヤロー!って言っていないで、その人のことなんて気にしないで、サッサと忘れてしまうのがいちばん良いんですよね。

(心の声)…そんなこと言ったって、ムカつくもんはムカつくんじゃ!そんな簡単に忘れられるか!…

確かにね、おっしゃる通りです。そう簡単に気持ちのコントロールなんて、できないですよね。

でもね、この気持ちの切り替えができるようになると、自分自身が本当にラクになるんです!

 

では、どうすれば嫌いな人のことを気にしないで過ごせるようになるのか?

スピ界隈でよく言われている方法は、嫌なことを紙に書き出して、ビリビリに破いたり、燃やしてしまったりすること。コレ、確かに効果あると思います。

でも、その時は一旦スッキリしても、またその人と顔を合わせたときに…やっぱり嫌い!無理!って、嫌な思いが蘇る可能性ありますよね。今回の私の場合は、実際に毎日顔を合わせる相手なので、嫌な気持ちをその都度紙に書いて、破いて…っていうのも面倒くさいのです。

 

そこで私が考えた、嫌いな人を気にせず過ごせる方法。それは、その人を巨大なシャボン玉に閉じ込めるイメージをする!…え?イメージ湧かない?

何て言いますか、巨大な空気玉にその人を閉じ込めるイメージをして、空気玉にバリア的な役割をしてもらうんです。そうすると、若干嫌な感じが和らぐというか…空気がクッションになって、物理的に距離が開くイメージがして、気持ちがだいぶラクになるんですよ。

なんて言うか、単に空気玉がそこにある?的な感覚で、あまりその人がいても気にならなくなるんですよね。

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これはあくまで私の感覚なので、全員がこの方法に当てはまるわけではないと思いますが…嫌いな人に対処する方法のひとつとして、参考にしてみてください(^_^)

 

 

 

ボーダーを越えた相手にはキッパリと!

誰しも、人にされて嫌だと感じる行為はありますよね。ちょっと嫌だけど、我慢しようと思えばできるかな?ってレベルから、これはもう無理!っていうレベルまで、いろいろあると思います。

今回話題にするのは、うちのおじいちゃんのこと。我が家は二世帯住宅で、おじいちゃんは隣の母屋でひとり暮らしをしていて、夕食だけは離れにある我が家に来てもらって食卓を共にしています。

おじいちゃん、良く言えば自由にポジティブに生きています。おばあちゃんが脳梗塞で施設に入ってしまっても、その後亡くなってしまっても…悲しむどころか、お友達のところへ遊びに行ったりして、おひとりさまを存分に楽しんでいます。でも悪く言えば、おひとりさまをいいことに、まぁやりたい放題なのです。

先日、うちの息子とおじいちゃんを連れてお寺の縁日に行った時のこと。息子と屋台を見て回り、おじいちゃんの様子を見に行ってみたら…何と御歳94歳にして、おばさま2人組をナンパしていたのです!おじいちゃんはマスクもせずに楽しそうにお話ししていて、おばさま達が若干引いていたので…こちらから声をかけて、おじいちゃんを連れ戻しました。

 

うちのおじいちゃん、ぱっと見は穏やかで、地元の俳句連盟の会長さんなんかもしている真面目なタイプです。でも実はこういう好色な部分があったり、人の話を聞かずに自分の話ばかりをダラダラとし続けたり、けっこうめんどくさい人なのです。

それでもまぁ、邪険にしてもかわいそうだし…と思って、今までは何とかおじいちゃんに合わせてきました。ダラダラと同じ話ばかりをするおじいちゃんの話も、それなりにお付き合いして聞いてあげていました。

でも先日おじいちゃんが、私にとってとても許せない行動をしました。直接私に何かしてきたわけではないのですが、私に対する思いやりのかけらもない行動…具体的に書いてしまうと、たぶん読んでいるみなさんが気分を悪くされると思うので、やめておきますが…おじいちゃん、とうとう私にとってのボーダーラインを越えてしまいました。

 

私の中には、ここまではオッケーだけど、これはさすがにダメ!というラインがあります。おじいちゃんは今回そこを越えてしまった…ある意味おじいちゃんの本性が見えてしまい、私に対する気持ち(私が思う、嫁さんに対する最低限の気遣い)が全くないことがわかってしまったので、こちらも毅然とした対応を取るしかないんですよね。

まぁ、今まで通りに夕食は共にしますし、必要なやり取りはこれからもします。でも、それ以外の部分での気遣いをする気は更々ないですし、おじいちゃんのダラダラ話に耳を傾けることはもうないと思います。話が始まったら、気を遣わずに適当に切り上げます。

こういう対応になってしまうのは、私としても残念だと思いますが…自分のエネルギーをおじいちゃんに費やすことが完全に無駄遣いであることがわかってしまったので…仕方ないです。こうなってしまったら、キッパリと私の態度を示すのみ!じゃないと、いずれ自分自身が参ってしまいますからね。

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気持ちを込める

私がこうしてブログを書いていて思うこと。自分の中にある想いを文章に込める作業って、本当に難しいんです!今まで書いてきた中で、100%自分の想いを文章化できたことって一度もないですし、たぶんこれからもそれは不可能だと思います。

でも、自分の想いをある程度は文章に込められたかな?これくらい書ければ自分の中では満足かな?って思えた記事は、ありがたいことにアクセス数が伸びるんですよね。一方でイマイチ気持ちが文章に反映できなかったときは、やはりアクセス数が伸びないのですσ(^_^;) コレ、本当にリアルで面白いですよ!

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私の場合はブログを書く作業ですが、何をするにしても、その作業にどれだけ気持ちを込められるのか?で、まわりの反応がダイレクトに変わってくる気がするんですよね。

私の場合だと、例えば日々のごはん作り。おいしいものを食べたい!おいしく作ろう!って気持ちのときは、火の通し方にも気を配れたり、微妙な味付けのさじ加減がバッチリ決まったりするんですよね。シンプルなチキンソテーとか、魚のムニエルとかでも、ジューシーにおいしくできる時と、火を通し過ぎてパサついてしまう時とでは、そりゃ家族の反応も違うわけですよ…気持ちに余裕がなく、やっつけ気味に作ったときの料理は、本当においしくないんです(>_<)

 

私はお笑い芸人さんが好きで、ネタ番組とか大喜利番組をよく見るのですが、同じネタであっても芸人さんがノッている時とそうではない時とでは、ウケ方が全然違うんですよね。

ミュージシャンのライブ映像を見ていても、演奏している本人が心から楽しんでいるかどうか?で、見ているこちらの心が動かされるのかどうか?が分かれるような気もします。

政治家の演説にしても、その人が何を伝えたいのか?が明確であれば、多くの人がその人の話に耳を傾けると思うんですよね。(その内容が正しいのかどうか?は定かではありませんが…)

また、かつて関わっていたアロマの仲間にしても、その人の実体験をベースにアロマの魅力を伝えている人と、ただアロマを売りたいだけの人とでは、受け手の反応も違ったりするんです。

 

自分が何をするにしても、まずはその内容に絶対的な自信を持つこと。そして、自分の中にあるその想いを、しっかりとそこに込めること。

シンプルなことだけれど、これがなかなか難しい…だからこそ面白いのだし、試行錯誤のし甲斐があるってこと、ですよね!

 

 

自己肯定感を上げるには?

自分と向き合う上で避けては通れない、自己肯定感問題。私自身、未だに悩むこともあります。

生まれてきた環境とか、人間関係におけるトラウマ的体験とか、過去世からのカルマとか、人によって原因は様々でしょうが…一度植え付けられたものを克服するのは本当に時間がかかりますし、克服したと思っていてもふとした時に何度も何度も顔を出してきて、実に厄介なんです。

今日車で走っていて、いつになくゾロ目=エンジェルナンバーの車とたくさんすれ違いました。そのとき私が感じたのは…私たちはこれだけ見守っているんだから、いい加減自分に自信を持ちなさいよ!っていう、見えない存在からの声って気がしました。そうよね、もういい加減自分を信じてあげないと…ね。その通りです、ハイー。

 

そこで自分なりに考えた、自己肯定感を上げる方法!

笑顔を意識してみるとか。自分好みの髪型とかファッションで気分を上げるとか。好きな音楽を聴いて楽しくなるとか。…とにかく、自分を上げる!って方面で考えがちですよね。私も最初はそうでした。

でも、どちらかというと逆で。一番効果があるのは、ダメな自分を受け入れる!ってことだと、私は思うんです。

空気を読まない発言して恥ずかしい思いをしたとか。思った通りにズバッと言い過ぎて人を傷つけたとか。よくわからないけど人に思いっきりダメ出しされたとか。…でも、それが自分!そんな自分でもええやん!その時そう思ったんだから、それで全然オッケー!って、自分で自分を受け入れてあげること。これがいちばん効果がある!って私は思うんですよね。

 

まだ娘が幼かったとき。発達障がいを抱え、すぐにパニックを起こして泣き叫んでいた娘に対して、当時の私は娘を泣き止ませるのではなく、気が済むまで一緒に泣いていました。いいんだよ、泣きたい時には気が済むまで泣けばいいのよ…そう伝え続けてきたことで、娘は自分のことを卑下することなく育ってくれたような?気がします。

自分の中から湧き上がってきた感情を否定することなく、そっか、そんなふうに感じたんだね…って自分で受け入れてあげることで、どんな自分でもそれが自分なんだから、そのままで、ありのままでオッケーなのよ!って、思えるようになってくる気がするんですよね。

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でも…そういうことが頭では理解できてきた今でも、何かしら事件が起きると、私自身未だに自分を否定してしまうこともあるので…本当に根が深い、厄介な問題だと思います。

 

 

 

心と体、双方のアセンション

オールドソウルというキーワードで辿り着いた、スピリチュアルなことを毎日発信していらっしゃるミュー・クリスタルのミューさん。日々いろいろな気づきを発信していらっしゃって、ブログを読ませてもらうことで私自身もいろいろと気づかされています。

ミューさんが先日書いていらっしゃったこと…スピリチュアルなことに取り組んでいる人は、心や波動のことにはいろいろと取り組むのに、なぜ体のことには真剣に取り組まないのか?なぜ自分が毎日食べるものについて関心を持たないのか?ということ。心と体は密接に繋がっていて、心の問題に取り組むのなら同じくらい体の問題にも取り組むべきである…これは私も非常に共感するところであり、痛いところを突かれていて、アイタタタ…なのです(>_<)

https://ameblo.jp/ayukawamidori/entry-12435312199.html

 

私自身が今までに感じてきたのは、例えばコンビニで売っているカット野菜。いつまでも新鮮な状態を保てているのは、何かしら加工をしているからであり、その加工に使われているものが何なのか?そこを疑問に思わずに、ちゃんと野菜摂れてる!って思うのは、おかしいと感じるのです。

それなのに、私自身忙しいときはコンビニ弁当で済ますこともあり。わかっちゃいるけど便利さに負けてしまう…この部分をミューさんは突いているのであり、アイタタタ…なんですよね。

 

あとは、日々喉の渇きを潤す飲み物について。私自身が健全な状態であり、心地よい疲労を感じているときに飲みたいと思うのは、お水や白湯なのですが…自分に無理をし過ぎてしまい、エネルギー切れを起こしているときに飲みたいと思うのは、炭酸飲料であったり、ラテ系の甘い飲み物なんですよね。そして、こういう甘いものを飲んだ翌日は、やっぱり体が重く感じるのです。

スピリチュアルなことを知り始める前は、毎日炭酸とか甘いものをガンガン気にせず飲んでいたので(>_<) その頃に比べれば、お水を体に取り込む大切さはわかるようになりました。実際に毎朝ゆっくりとお水を飲んで、体内に染み渡るのを確かめる感覚は大好きですし、そのおかげで必ずいいお通じが来るようにはなりました。

それでもやっぱり、どうしても甘いものを飲みたいときはあるんですよね。そういうときはお水ではダメで。私のこういう部分が、まだまだアセンションの途中である…ってことなんだと思います。

 

ミューさんによると、アセンションが進むとお肉が食べられなくなり、牛乳や乳製品を臭く感じるようになり、魚も食べられなくなるのだそうです。

実は、ゴールデンチルドレンであるうちの息子が、まさにこの食生活なんです。食べるのは野菜類と果物と豆類で、肉・魚・乳製品は決して食べようとはしないのです。生まれながらに、本当に自分に必要な食べ物がわかっている…やっぱりすごいですね。

一方で私は、お肉大好き!乳製品も大好き!そして野菜はどちらかというと苦手なんです(>_<) 特にキュウリは青臭くて食べられないんですよね。

それでも自分で料理を作るようになってから、野菜のおいしさに少しずつ気づき始めていますし、旬のものを積極的に食べるようにはなりました。もしこの先アセンションが進んでいけば、お肉や乳製品を臭く感じるようになるのか?嫌いなキュウリを食べられるようになるのか?…まずは自分の変化を楽しむスタンスで、無理なく進んでいこうと思います。

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ひとまず、コンビニフードは卒業したいですね!