Work "OUR" Light 〜Juan's blog〜

ブルーレイチルドレンJuanの、スピリチュアルな?つぶやき

光を放つ時期に差しかかっている

私はこの世に産まれてから、今まであまり目立たないように生きてきました。それには理由があって…

もともとは目立ちたがり屋だったのですが、小学1年生のときの全校集会で、校長先生の質問に私は自信を持って「はなくそ」と答えてしまい…クラスの先生や仲間たちからひんしゅくを買い、後ろ指を指されてしまったのです。(校長先生がどんな質問をしたのか?は、全く覚えていません…)

そのときは本当にそう思ったから、素直にそう答えただけなのですが。何だか見当違いで、その場の空気が凍りついてしまったようで。

それ以来、本当の自分を出してみんなに変な目で見られることが怖くなり、私は自分の意見を引っ込める癖がついてしまったのです。

 

だからうちの子供たちに対しても、基本的には悪目立ちをしないように…なるべくまわりのみんなに受け入れてもらえるように…そんな伝え方をしてきたかもしれません。

クリスタルチルドレンの娘は、とにかく純粋なのが特徴。幼い頃はみんなの輪に入れないこともありましたが、少しずつ、少しずつ経験を重ねていって…中2になった今は、クラスや部活でみんなと同じ活動ができるようになりました。

そんな娘が、新たに行き始めた放課後デイの事業所。そこに来ているのは中高生で、娘は同年代の女の子たちとワイワイ女子トークができる!と楽しみにしていたのですが…実際に行ってみたら、娘が行く土曜日に来ているのは基本的に男の子のみ。こんなはずじゃなかった…娘があまりに落ち込んで元気がないので、先生が心配して私に連絡をしてきたほどです。

娘にとってあまりに期待外れで楽しめないようなら、その放課後デイへ無理に行かなくてもいいのかもしれない…私はそんなことを考えながらお迎えに行き、その日の様子を娘に聞いてみたら…その後気持ちを切り替えて、男の子たちに麻雀を教わりながら一緒に楽しく過ごせたそうです(^_^)

娘は少しずつ、少しずつ、まわりのみんなの輪に入るスキルを身につけているようですね!本当にたくましくなったものです。

 

一方でゴールデンチルドレンの息子。彼は自分に合わない場所に、自分から入ろうとはしません。自分のことをわかってくれる先生たちとか、近所のおじいちゃん・おばあちゃんとは仲良くするのですが、小学校の同級生とかママさんたちの輪には、決して入ろうとはしないのです。

私は娘のときと同様に、何とかして息子をみんなの輪に入れてもらおうとしていました。いろいろな場所に顔を出したり、イベントにも積極的に参加したり…でも、そういう場所で息子がみんなの輪に加わることはありませんでしたし、小5になった今も学校に全く馴染めていないのです。

 

そして、この春は息子にとって試練の春となりました。大好きだった担任の先生が別のクラスへ行ってしまい、代わりに担任になった先生は息子のことを全くわかっていないし、わかろうともしていない…息子は学校へ行くのが嫌になり、一時は不登校寸前にまでなってしまいました。

「僕はどうしたらいいの…」と訴えてくる息子のために、私はできる限りのことをしました。学校の先生と何度も話し合いの場を持ち、息子が安心して通える環境づくりをして…そして今、息子は何とか落ち着いて毎日学校へ行けるようになりました。

 

私は今まで、何とかして息子をみんなの輪に入れよう、入れようとしてきました。でもそれは間違いだったのかもしれない…と、今回のことで気づきました。

息子は今までずっと、自分の中にある世界を大切にしてきただけであり、息子なりに光を放ち続けてきただけであって。そこをわかってくれる人とは関わりを持ち、そうでない人とは全く関わらない…ただそれだけのことであって。

だから、学校で無理をしてまでクラスの仲間に入れようとするのは、息子にとってはそもそもが間違いなんですよね。

みんなに自分を合わせるのではなく、みんなが自分のほうに合わせるべき…たとえ自分がみんなと違う価値観を持ち、全然違うことを考えていたとしても、自分の想いを存分に発したって構わないんだ…そんな時代が近づいてきているのかもしれないって、息子を見ていて感じたんですよね。

 

かつて私が子供だった頃は、自分の発言によってその場を凍りつかせてしまったわけで…自分の光を存分に放つなんて、とてもできませんでした。今までの時代は、そうして生きていくことが処世術であり、私もそうして自分を押し殺しながら生きてきました。(その経験も、結局ブルーレイである自分にとっては役立っています。)

でも…今はそのやり方では、逆にうまくいかないのかもしれません。実際に今回息子は不登校寸前になったわけですが、そこで息子にとってどう過ごすのが安心できるのか?を息子に聞き、息子の意見を先生たちに伝えることで、最終的にうまくいったのですからね。

たとえみんなと違う価値観を持っていたとしても、堂々と自分の光を放てば、それでいいんです。

…改めて今、そんな時代になろうとしているのを、私は肌で感じています。

f:id:hattatsumamajuan:20220515164224j:image

 

 

 

やっと、違いを認められた…かも?

地球上では発達障がい児であり、スターシード的にはゴールデンチルドレンである息子。幼い頃から、ずっと友達の輪に入れずにいました。

こども園の入園式で、息子は最後まで式場に入れませんでしたし、記念撮影の輪にも入れずに他の親子をさんざん待たせてしまいましたし。

お迎えの時も、他の子たちは一緒に走り回って遊んでいるのに、息子だけ離れたところでひとり遊びをしていましたし。

小学校に入ってからも同じで、基本的に友達の輪に入ることはありませんでしたし。習い事とか、地域の行事とかに参加してみても、すぐ離れたところに行ってしまい、結局最後まで参加できませんでしたし。

 

それでも私はめげずに、鬼メンタルで、息子が仲間の輪に入れるように…いろいろな場所へ行き、まわりの人たちに協力を求めてきました。基本的には、みんなうちの子のためにありがとうね…と、へりくだった姿勢を取っていました。

でも、いつまで経っても息子は仲間の輪に入ろうとはしません。そうしているうちに、いつの間にか私たちは「ちょっと変わった親子」として、ある意味でレッテルを貼られてしまったようなのです…

 

私は、本当にもう疲れました。いくら私の中の鬼メンタルを発動しても、もう…学校の同級生たちやママたちと、笑って話す自信がありません。もう疲れ切って、みんなの前で笑顔さえ作れないです。

今年になってから、私は息子のサポートで学校へ行くようになりましたが、毎日肌で感じる子供たちの空気…もはや息子は仲間ではない…こんな空気感で、教室に入るなんて、そりゃ無理だよなぁ…

 

学校での現実を目の当たりにして、思いっきり打ちのめされて…そして私は気づきました。

息子はそもそもみんなとは違うのに、無理に仲間になろうとしていたから苦しかったし、こんなにも疲れてしまったのだと。

私たち親子はスターシードであり、そもそもみんなとは考え方が違うのだから。今は無理に仲間になろうとはせず、まずは落ち着いて学校に行って、息子なりにやるべきことをやる…まずはそこからですよね。

そしてその上で、もし息子なりにクラスに貢献できることが見つかったら…その時に努力をすれば、それでいいんじゃないですかね。そう割り切って考えたほうが、私自身ものすごくラクです。

 

そして、今私がやるべきことは、息子が落ち着いて学校で過ごす環境づくりのお手伝いです。4月当初に比べれば、今は先生たちも息子のことをだいぶ理解してくれるようになったと思います。私、親として今回、けっこう頑張りましたよ!

あえて今は、同級生やママたちと距離を取ったほうがいいのかもしれませんね。息子はみんなとは根本的に違うのだから、みんなと同じことができなくて当たり前!そこを認めた上で、息子なりに生きる道を模索していけばいいんですよね。

f:id:hattatsumamajuan:20220513171645j:image

息子が産まれて10年ちょっと。ようやく、息子とまわりのみんなとの違いを認められたのかな?って気がします。

それにしても、息子のことを認められるまでに10年…めっちゃ時間かかりましたねσ(^_^;)

 

 

 

 

学ぶって、こういうこと?

5月に入り、息子の小学校にサポートとして通う生活が始まりました。

私が関わるのは、朝の会が行われている時間帯と、その他に1日1時間。行く時間帯は曜日によって違うのですが、その時間になったら学校へ行き、支援級の部屋に顔を出して先生から課題をもらい、基本的には図書室で息子と一緒に過ごします。

 

この学校の図書室、吹き抜けの高い天井を持ち、部屋自体も半円形をしていて、面白い造りをしています。開放的で居心地が良く、息子はこの図書室が気に入ったようです。(ちなみに、子供たちが普段本を借りるのは図書コーナーという別の部屋があり、この図書室は滅多に使わない部屋なのです。)

f:id:hattatsumamajuan:20220510142049j:image

今日はまず、息子が図書室の電気スイッチに興味を持ちました。ON/OFFのスイッチと、1〜4までの数字と、▼と▲のマーク…これはどういうことだろう?

息子はスイッチをいろいろといじっているうちに、1〜4の数字が明るさを調整するスイッチであることを突き止めました。1が最も明るく、4が最も暗く、1→2→3→4とグラデーションになっていたのです。息子は何度も明るさを変えて、楽しんでいました。▼と▲のマークが何なのか?は、今日のところはまだ判明しませんでした。

 

次に息子は、本棚の高いところにある本を取るための高い梯子に登り始めましたが…ビビりの息子、全部で8段あるうちの2段目までが精一杯のようです。

私は息子に「ママが後ろにいるから、もう1段だけ登ってみれば?」と声をかけたら、恐る恐る…何とか3段目まで登ることができました。1段上がるだけで、見える景色がだいぶ違う!ってことを、息子なりに感じられたと思います。

 

まぁさすがに、先生からもらった課題もやらなきゃね…ってことで、その後しばらくは集中して課題に取り組みました。

課題を片付けて、まだ時間はあります。私は本棚にある本を物色していたら…1冊だけ、お気に入りのヨシタケシンスケさんの絵本を発見しました!まだ読んだことがない本だったので、息子と一緒に読みました(^_^)

息子は息子で、古めかしい踏み台に興味を持ったようです。木製で3段分登れる、なかなか渋めの踏み台…よく見ると、コンパクトに折り畳むことができます。息子は踏み台の構造を、何度も折り畳んでは戻して、しっかりと観察していました。

 

ここで時間いっぱいになりました。ただ図書室で過ごしただけではありますが、それでもこれだけの発見がありましたし、今日の時点では未解決の課題(スイッチの▼と▲の謎)も見つかりました。

息子と1時間過ごしてみて…学ぶって、本当はこういうことなんじゃないかな?って私は感じたんです。机に座って黙々と課題に取り組むのも大事かもしれませんが、自分で実際に課題を見つけて、考えて、答えを出すっていう一連の経験は、しっかりとその子に刻まれるのではないかなぁって、感じたんですよね。

 

その後支援級の部屋に戻り、私は帰らなきゃいけないのですが、息子に引き留められてしまい…休み時間だけ付き合うことにしました。

息子は水遊びにハマっているのですが、狭いところに水を注ぎ込むのが楽しいようで、教室の棚の隙間から水を注いじゃっていて…棚の下が水浸しになっていました。棚の下に水が溜まると拭き取れなくて、乾燥できずに床の木が腐ってしまうから、ここに水を注いではダメなんだよ、と説明しても、イマイチピンときていない息子…そこで、実際に床を触ってみました。

まずツルツルした普通の床を触り、次に水に濡れて拭き取ったばかりの湿った床を触り、そしてビチャビチャした棚の奥に指を入れると…気持ち悪い感触がしました。息子もやっと理解したようで、その後は新聞紙でせっせと水気を吸い取る作業をしました。

 

息子は今年になってから、本当に学校がつまらないと言っています。今年の担任の先生は、あまり子供たちと共に過ごすタイプの先生ではなく、ただ課題を与えるだけの先生…休み時間も、あまり子供たちと遊んでくれるタイプの先生ではないようです。

子供たちは先生を選べないので、こればかりは仕方のないことですが…こういうつまらない先生もいるんだよって知ることと、そんな中で自分でどう工夫をして過ごすのか?ってことを、息子なりに考える機会だと…捉えるしかないですね。

 

 

水晶を洗うことで、心も洗われる

天然石が好きな私。スピリチュアル的な意味合いもあるのですが、単純に鉱物としての魅力も感じています。

どうしてこんな形になるのだろう?とか、どうしてこんな鮮やかな色になるんだろう?とか、見れば見るほど不思議でいっぱいだし、天然石から自然の力のスゴさを感じるのです。

 

私は相当ズボラな性格をしていまして、天然石って頻繁に浄化とかしなきゃいけないようなのですが…結構ほったらかしちゃっています。常に窓辺に置いてあるので、太陽や月のパワーは蓄えているかもしれませんが、気づいたらホコリ被っちゃってる?なんて時も、お恥ずかしながらあります…

そんなズボラな私にとって、水晶のいいところ…それは、丸ごと水で洗える!ってところなんです。

本当ならば、清流のきれいなところへ行って水晶を浸してあげたり、きれいな海に水晶を浸けてあげると、ものすごい輝きを取り戻すこともあるそうですが。私はそこまではせず、普通に水道水で洗っちゃっています。

 

私のいつものやり方を書いてみますと…蛇口から水を細めに出して、水晶に溜まった邪気を洗い流すようなイメージで水晶を手に持って水流にかざし、ただただ水の流れるままに、気が済むまで洗い流し続けます。

サラサラと水の流れを眺めながら、水晶を洗い流していると…自分の中にある邪気のようなものも、一緒に洗い流してくれるような、私はそんな気がするんですよね。

そして水晶そのものも、水で洗い流した後は、照りといいますか、輝きを取り戻すんですよ!

だから、たまに時間が取れたときに、たっぷり時間をかけてゆっくりと水晶を洗ってあげると、自分自身の浄化にもなるし、水晶自体もピカピカになるんです(^_^)

f:id:hattatsumamajuan:20220509140037j:image

そんな私は、コレクター癖もありまして…σ(^_^;) 以前は気になる石があったら、とにかく片っ端からお迎えしていました。どちらかというと磨いたものではなく、石そのものの魅力を感じる原石のほうが好きで、中でも水晶は本当に奥が深くて…同じ鉱物とは思えないくらい、色も形も個性があるんです。

f:id:hattatsumamajuan:20220509131012j:image

例えばこの子。小さい結晶がいくつも集まっているクラスターというものですが、鉄分が多いせいか?ピンク色をしていて、可愛いんです(^_^)

f:id:hattatsumamajuan:20220509131117j:image

この子はカテドラル=大聖堂という名前がついていますが、その名の通りポイントがひとつに寄り添い合って、ひとつの大きな建物のように見えます。色はうっすらイエローがかっています。

f:id:hattatsumamajuan:20220509131238j:image

この子もカテドラルですが、黒色の水晶(モリオン)でできているので、さっきの子とはだいぶ雰囲気が違って、荘厳なイメージがします。

f:id:hattatsumamajuan:20220509131412j:image

この子はアイスクリスタルです。ヒマラヤ山脈の氷河によって削られて、このような擦りガラス状になるそうで…触り心地が本当に気持ちいいんです(^_^)

f:id:hattatsumamajuan:20220509131600j:image

特大サイズのこの子は、エレスチャルといいます。何らかの力によって水晶が侵食されていて、所々に窪みがあり、ワニのウロコのような形をしています。

f:id:hattatsumamajuan:20220509144157j:image

そしてこの子はレムリアンシードです。バーコード状に横向きの溝が入っていて、その溝を指でなぞると、閉じ込められているレムリアの記憶が呼び覚まされる?と言われています。個人的に大好きな水晶です(^_^)

 

さて。このレムリアンシード、実はずっと棚の中にしまっておいて、今日久しぶりに出したんです。棚から出したばかりのレムちゃんは、こんな感じでした。

f:id:hattatsumamajuan:20220509141433j:image

そして、水道水で洗った後のレムちゃんは…こんな感じ。

f:id:hattatsumamajuan:20220509144157j:image

持った角度の違いもあるかもしれませんが、何となくエネルギーが違う感じが、しませんか?

あくまで個人的な意見ですので…あしからずσ(^_^;)

 

 

 

愛をもって、旅立ちを見送る

今は時代の大きな転換点であり、これまで2500年続いた夜の時代から、昼の時代へと変わりつつある最中です。そんな中で、今までの夜の時代に活躍された神様などの目に見えない存在の方たちは、次々とお休みになられているのだそうです。

以前の記事で、地元の由緒ある神社の神様について書いたことがあります。

https://hattatsumamajuan.hatenablog.jp/entry/2022/02/07/103200

 

そして先日、私個人に縁のあった闇の存在だったり、ご先祖さまだったり、これまでの夜の時代に私を見守って下さった方たちの存在を確認し、その方たちをお見送りする機会をいただきました。

具体的な方法について書くのはやめておきますが、イメージとしては…ご先祖さまや闇さんたちの声を直接お聞きして、この世に思い残すことがないことと、お休みになることを了承してもらえたことを確認した上で、しっかりとお見送りをさせてもらう、という感じです。

見えない存在の声をお聞きする…今までそんなことをしたことがないのですが。ただただ意識を集中して、何かしら言葉が降りてきたら、その意味を審神者して確認していくって感じで、私はやってみました。

 

まずは、ご先祖様の声をお聞きしてみました。私が直接知っているのは、昨年亡くなった義理の母のみで、そのせいか?義理の母の声が何となく聞こえてきました。

お義母さんは私の名前を何度も呼んで、私に何かしら呼びかけていて。その後に、息子(=私の旦那さん)の名前を何度も呼んでいました。お義母さん、やはり息子のことが心配なようですね。わかりました、とお伝えしました。

その後再び、私の名前を何度も呼んでいます。お義母さん、今度はどんなことを伝えたいのかな…でも、ひたすら私の名前を何度も、何度も呼び続けていて…そして何となく、お義母さんは私自身のことを心配してくれているのかな…そんな気がしました。

審神者して聞いてみたら、やはりそのようでした。みんなのことばかり気を回しすぎないで、自分のこともちゃんと労わるようにね…お義母さんが、そんなふうに言ってくれている気がして…

ああ、もうダメです。涙腺が崩壊してしまいました。嗚咽が止まりません。

お義母さん、お義母さん…ありがとう…ありがとう…ありがとう…私は自分の気が済むまで、何度も伝えました。

そして、私の気持ちが落ち着いたところで。ご先祖さまに、お休みされても構わないかどうかを聞いてみたら、もう大丈夫だとのことでした。

 

次に、私に縁のある闇さんたちの声を聞きました。ご先祖さまと違って具体的にイメージできないので、ちょっと難しかったのですが…意識を集中してみたら、降りてきたのが「闇を認める」という言葉でした。

闇さんたちは、これからの時代には光の存在に変わって、再び私のことを見守って下さるのだそうですが…たとえ光に変わるとしても、闇だったことを帳消しにするのではなく、闇の部分に蓋をするのでもなく…

闇の時代があったからこそ、これからの時代により強い光として生きていくことができる…そのことを忘れてはいけないよ…そんな感じのメッセージをいただきました。

そして闇さんたちも、光に変わることを了承してくださいました。

 

この世に思い残すことがないと、しっかりと確認した上で。その後しっかりと手順を踏んで、きちんとお見送りをさせていただきました。しっかりとお話ができたので、私自身も思い残すことなく見送れたと思います。

ご先祖さまは、天国に行ってゆっくりと休まれているはずですし、闇さんたちは光に変わっているはずです。審神者して聞いてみたら、無事にお休みになられたようで。よかったです…ホッとしました。

 

今回ここに書いていること。もしかしたら、読んでいて怖く感じるかもしれませんね。でも、無事にお見送りをした今…私に残っている気持ちは「愛」なんです。

ご先祖さまも闇さんたちも、形は違えど今までずっと私のことを見守ってくれていたわけで。直接声を聞いて、メッセージをもらって、そこから愛を感じて…私は感謝の気持ちでいっぱいです。私も自分の中にある想いを精一杯伝えることができたので、思い残すことはないです。

しっかりとお見送りをして、これまでの夜の時代に、ある意味で別れを告げて…これからの昼の時代を生きていく覚悟が芽生え始めたような、そんな気持ちもあります。 

 

そんな私の中に今、じんわりと暖かいものが、確実に存在しています。

この感じ…かつて自分の子を身籠もって、この世に生まれてきたときの感動に近いものがあるかも?しれません。

新たな命を迎えたり、役目を終えた存在を見送ったり…そこにあるのは、やはり大いなる愛です。

今回、愛をもって、役目を終えた方たちの旅立ちを見送らせてもらえたことに、私は感謝したいと思います。

f:id:hattatsumamajuan:20220508073529j:image

今回書いたことを読んでもらって、読む人によっていろいろな捉え方があるかもしれませんが…目に見えない存在とか、闇の存在とか、今までちょっと怖いと思っていた存在でも、こんなふうに愛を感じることができる…そのことをお伝えしたくて、自分なりに今回のことを書いてみました。

この感じ。うまく…伝わったでしょうか?

 

 

 

大事なのは、やっぱり愛です!

最近話題にすることが多い、昨年度まで息子の支援級担任だった先生について…見た感じは、穏やかな雰囲気の若い女性の先生です。

この先生、特徴ある子供たちひとりひとりの特性に応じて、いろいろと対応して下さっていました。多動傾向のある子に対しては、ある程度自由に行動させてから本当に来てほしい時にだけ声をかけるとか。うちの子のように敏感な子には、なるべく寄り添って不安を取り除いてあげるとか。ほぼ完璧な対応をして下さっていたので、子供たちには人気がありますし、親からの信頼も絶大です。今年度は担任が変わってしまい、子供たちも親たちも、その先生のロス状態になっていました。

うちの息子も、もれなくロスになってしまい…担任が変わってからも、校内でその先生のことを探したりしていました。先生は基本的にとなりの棟にある校舎にいるので、普段はなかなか会えないのですが…たまにお会いできたときに、息子はものすごく嬉しそうにしていても、先生は何だか対応が冷たいような、もっと言うと何だか迷惑そうな…私は見ていてそんな気がしていたんです。

 

そして先日の遠足。不安の強い息子に付き添う形で私も同行しましたが、そこでその先生の決定的な本性が明らかになったんです。

歩いている道中は、どんなに息子が声かけをしようとしても徹底的に無視をして、その場から離れていった先生…私は見ていて、そこまで塩対応をしなくてもいいのに!って感じるほどでした。

でも、学校に帰ってきて他の人たちがいる場所では、先生は息子に対して積極的に声をかけてきたんです。さっきとはまるで別人のよう…これが先生の本性であり、先生はみんなが見ている前でだけ「先生アピール」をする人だったんです。

 

今思えば、昨年度はその先生に面倒を見てもらい、学校では落ち着いて過ごせた息子ですが….一方で、彼自身の成長という部分はあまり感じられなかったんです。先生は、学校での息子の困り感を解消してくれてはいたかもしれませんが、その先の成長という部分までは視野に入れていなかったのかもしれません。

ちょっと穿った見方かもしれませんが…先生は支援級の担任として、息子に寄り添う「方法」は完璧だったけれど、息子に対する「愛」というものが、もしかしたら足りなかったのかもしれない…だから、昨年度は息子に成長が見られなかったのかな?って気もするんです。

私は親として、息子に課題や改善点が見つかれば、そこに対して自分なりに考えて取り組むと思うし、そこにあるのはやっぱり、息子に対する「愛」なんですよね。そういう意味では、今回担任の先生が変わったことも、息子にとってはプラスになるかもしれない…何だかそんな気もしてきました。

私はひとまず今年1年、親として学校にちょっとだけ顔を出しつつ、息子のサポートをしながら…愛の気持ちをもって、成長を見守りたいと思います(^_^)

f:id:hattatsumamajuan:20220505015504j:image

 

 

流れ行くこと、水の如し

今から約1ヶ月前…4月に今年度が始まってから、本当にいろいろなことがありました。

4月1日に突然、ホースセラピーの牧場から事業休止の手紙が各家庭に届いたのは、本当に驚きました。そして実際に、4月いっぱいでセラピーも放課後デイも終了しました。事業休止の経緯について、オーナーさんによる説明会が開かれたり、保護者の有志が計画して、先生たちに寄せ書きのようなものを作ったり…そんな中で、私なりにいろいろと感じることもありました。

一方で学校では、娘も息子も担任の先生が変わりましたが、息子は新しい先生に全く馴染めず、一時は不登校寸前までいきました。先生と相談しながらいろいろと試行錯誤をしてみましたが、なかなかうまくいかず…結局、校長先生や教頭先生にも相談をして、今年1年間は親である私が学校へ行って、息子のサポートをすることになりました。

 

今年度がスタートした時点では、こんなことになるなんて全く想像できませんでした。流れに任せて、その都度考えて、動いてみたら…実際にこんなことになっていました。

5月になり、もうホースセラピーの牧場には行けなくなりましたが…うちの子たちは幸いなことに、新たな放課後デイサービスの事業所と契約することができました。

娘は、今までのような子供たちがたくさんいる場所ではなく、中高生が多く通っている事業所に5月から行き始めます。一方で息子は、日中はお年寄りのためのデイサービスで、夕方の時間帯は子供たちを預かってくれる施設に、4月から行き始めています。息子はすでにスタッフさんたちと仲良くなって、週2日行くのを楽しみにしているようです(^_^)

 

息子の学校のほうは、これから実際にやってみなければわからないのですが…先日私も遠足に同行して、やはり学校に行って、息子なりに経験を重ねることが大事!だと感じました。

それに担任が変わったことで、昨年までの担任の先生の本音の部分が見えたのも、却ってよかったのかもしれません。昨年まで本当にお世話になった先生ではありますが、今年になってからの冷たい対応に私は違和感を感じていて…

この先生が、息子に本当に興味を持ってくれていたわけではないってことが先日の遠足で判明し、私が感じていた違和感の理由がわかったのは、結果的によかったと思います。息子の本当の成長のためには、息子のことを心から愛してもらうことが、やはり大事ですからね!

    *****

ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、
又かくのごとし。

…これは、鴨長明による方丈記の、有名な冒頭部分の一節。川の流れは絶えないが、それはもとの水とは違う。よどみに浮かぶ泡は、消えたり生まれたりして、長く残っているものはない。世の中にある人、家も、またこのようなものである…という意味です。

 

心地よかった環境がなくなってしまったり、自分の居場所が変化したり、そこにいる人が変わったり…新たな環境を受け入れるのには、時間がかかることもあれば、到底受け入れられない!ってこともあるかもしれません。

でも…そんな中でも、どうすれば自分にとって少しでも心地よくなるのか?を考えて、その場に留まらずに動いていくこととか、自然の流れに逆らわず、ある程度は流れに身を任せることとかが、きっと大事なことなんですよね。そうしていくことで、私たちは成長していくのかも?しれませんね。

f:id:hattatsumamajuan:20220504172431j:image

流れ行くこと、水の如し…自然の流れに抵抗せずに、ただ流れに乗って進んで行く…

私たちも、そうありたいものですね(^_^)