Work "OUR" Light 〜Juan's blog〜

ブルーレイチルドレンJuanの、スピリチュアルな?つぶやき

縄文的思考への回帰

時代の転換期の真っ只中にいる私たち。2500年続いた夜の時代から昼の時代へと移り変わっている最中といえます。

昼の時代であった、今から2500年前…縄文時代まで遡ります。スピリチュアリストさんの中でも、縄文時代のことに触れる方も多くいらっしゃいます。

あまり詳しくは知らない縄文時代のこと。何となく想像できるのは、日々必要な食糧を自分たちで調達して、必要な道具を自分たちで作り出して、ものすごくシンプルに生きていた、ということですかね?

 

弥生時代、つまり夜の時代に入ってから、私たちは畑を耕して作物を育てることを覚えます。そこから土地を所有したり、商売をしたり…やがて金銭で売買をする概念が生まれました。

土地や家などの所有物が生まれると、今度は争いが起きます。より多くの土地を所有する人が権力を持つようになります。土地を巡る争いは、やがて大名同士の争いや、国同士の争いへと発展していき、さらにお金が価値を持つようになり…上下関係が生まれ、格差が生まれ、こうしてピラミッド型の社会が形成されてきたのです。

 

夜の時代から昼の時代へと移りつつある今、縄文的思考へ回帰するということは、ある意味で自然なことなのかもしれません。

所有物を奪い合うのではなく、みんなで共有することとか。力関係で成り立つ人間関係ではなく、隣にいる人を大切にする人間関係とか。

そういう感覚を自然に持てる人たちが、これからの昼の時代を引っ張っていくのかもしれません。

 

もうひとつ、私の中で大切にしている感覚があります。それは、英語で言うと「リスペクト」。日本語で言うと「尊敬」に当たります。

目上の人だけではなく、まわりにいる人たちひとりひとりのこととか、自分自身のことも含めて、あらゆるものに対してリスペクトの気持ちを持つこと。私はその感覚を大事にしていきたいと思っています。

そこでふと思いました。「尊敬」という言葉に含まれている「尊ぶ」と「敬う」という2つの言葉。意味の上での違いはあるのでしょうか?

調べてみたら、面白い考察がありました。

 

…敬うとは、自分よりも目上の存在、例えば年長者や、親、教師などの身近な存在から、実際に確認することはできない神仏などに対して、敬意を払うということである。尊ぶとは違って、敬うべきその存在のみが対象で、行動や理念といったものは対象にならない。また、本人が本当にその対象を心から尊敬していない場合でも、相手が社会的に敬うべき立場であるからとして、敬うというポーズをとっていることもある。

一方尊ぶとは、社会的にどうであるかという常識にはとらわれることなく、その人個人の考えや価値観で、価値があると思う物に対して敬う事をいう。例えばそれは、人物や神仏だけではなく、礼節や恐れ、賢、人の教えなど、「敬う」とは違い、行動やその心(精神)等も対象となる。…

 

…なるほど。似ているようで、意味はかなり違いますね!

「敬う」の方は、どちらかというと夜の時代の感覚に近いかもしれません。「尊ぶ」の方が、何となく昼の時代っぽい感じがするし、私が抱く理想にも近い感じがします。

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縄文的思考への回帰と、「尊」の気持ち。

今の私の中にある感覚的なもの。言葉にすると、きっとこんな感じなのだと思います。